|
思えば将棋を知ってから30年以上経過した。中学生のころ同学年に初段のやつがいて、そいつは将棋世界や近代将棋をいつも手にしていた。そのとき見た升田−大山の写真と棋譜に感動し、私は将棋のとりこになった。また、同時に詰将棋も大好きになり、実戦では終盤で長手数の即詰みを食らわして逆転勝ちするのを得意としていた。
やっと初段になったのは高校2年のとき。将棋世界の初段コ−スを2年かけて卒業したのだ。定跡を覚え、基礎を築き始めたのもこの年代で、高校卒業時は三段ぐらいになっていた。
大学に入学してからは受験からの開放感もあり、将棋部に出入りするのが楽しくてたまらなかった。大学の個人戦や団体戦も楽しみだったが、関西で一人だけどうしても勝てない男がいた。大阪大学の瀬良司である…。東大の谷川俊昭氏、深井一伸氏などは雲の上の存在だった。
その頃は学生が社会人強豪に立ち向かっていった草分けの時代で、加賀敬治、小池重明、大田学、沖元二さんらが真剣勝負を戦っているのを見ていて凄まじさを肌で感じた。大学の同年代には小島がいた、白井がいた、永田がいた、菱田がいた…。
入社したての頃はこわいもの知らずだった。将棋は序盤なんか関係ない、中終盤で決まるものだと信じてきたし、その考えは今も変わらない。このとき関東に3年間居たが、大変貴重な経験であった。
これはそのころの会心譜、はじめて百万円を手にしたときのものである。小池重明、沖元二、櫛田陽一らが見守る中、緊張の決勝戦は始まった。
全日本オ−プン選手権決勝 1982.11.23 八ヶ岳にて
▲野山知敬(当時神奈川)
△黒崎昌一(準棋士四段)
前回エッセイの棋譜を引き継ぎ、自陣飛車で粘り倒した一局である。
ここから▲8八同玉△6九竜▲7八飛と耐える。
そうか、この棋譜も20年ぐらい昔になるのか…。今は序盤研究の時代だが、とてもそのような流れにはついていけない。というよりそのようなことは好きではない。誰が指しても同じ、なんて将棋はいやだ。個性を盤上に表わしたいので、相変わらず学生時代そのままの将棋を指している。
いつまでも若さのある将棋を、情熱を持ち続けている限り…
|