ライバル考 田尻隆司 |
いったい何の道であれ、技術の向上に何が必要かと考えたとき、不可欠なものとして「ライバル」の存在があげられる。だって考えてご覧なさい。過去に勝負師として、あるいは歴史上の覇者でもよいが、名をなした人にその好敵手(あるいは不倶戴天の敵でもいいや)がいなかった例がありますか?い〜や、ないでしょう。プロ将棋界における前例は、持ち出すまでもないでしょうな。えへん(⇒いばんなよ)。 てなわけで、年を越せばいよいよ40代に突入するこのジジイ(⇒ああっ!!またも問題発言が!)が、そろそろ若かりし頃を振り返って、昔のライバル達に感謝と追悼の意を捧げる(⇒勝手に殺すんじゃない!!)のも悪い事じゃあなかろうと思う次第であります。 (1)中2〜高3時代(13〜18歳) 将棋の本を読み出したのは中2で、剣道の初段試験に落っこちた3学期からのこと。(憎し!熊本剣道界!!⇒なんや、それは?)当時のライバルは、初め4歳年上のいとこから、後にその友達の松下和広氏へと移っていきました。松下氏は熊大将棋部で初の(今に至っても唯一の)全国学生名人。たかが田舎の二〜三段位だった高校生が、なんでこの人にいつも勝ち越していたのか・・・?(⇒不思議やなあ??) 今にして思うと、松下氏は本気を出しておらず、可愛い高校の後輩に花を持たせてくれてたのかしらん(⇒そうにきまっとる(^^;;) 松下氏は10年くらい前に武道館で姿をお見かけしたのが最後。まだ立川にすんでいるのかなあ??お〜い、お元気ですかあ? (2)浪人時代(18〜19歳) この1年は、遊んだ遊んだ(^^;;;!! 博多のM城学園(名門予備校だったのに・・・なんと去年倒産しちゃった!)に通いつつ(⇒ウソつけ!ちっとも通ってない(^^;;)、ひたすら修行にも打ち込んだなあ。ライバルは、この当時の博多4強の五段陣、福山英明、大藪茂、堀内靖司、高野信介のお歴々。特に福山氏(後に朝日全国優勝。野山朝日アマ名人に挑戦)には、100番勝負等で散々鍛えられた故、氏はライバルというより師匠筋にあたるかな? 大藪氏がその後奈良に、堀内氏は富山にと、それぞれ地元に帰られた後も、たまに全国大会等でお会いするとやっぱり懐かしくて、声をかけたりかけられたり・・・。忘れちゃいけない高野五段。イヤ強かった、強かった!! 有名な三崎巌氏の弟子筋にあたる人で、矢倉を指させれば当時九州一(現に「将棋賛歌」という雑誌の企画で、師の三崎六段に矢倉で完勝してましたねえ)。後に読売日本一戦西日本大会の決勝までは行かれてましたが…。今は福岡に寄ってもほとんどお見かけしませんが…お変わりないでしょうかね。 (3)大学時代(19〜25歳)⇒計算が合わないって・・・ほっとけ! は〜い。人生の華。青春時代ですなあ(^^)。広島は実に居心地がよかった!! 周りには両田中氏(浩氏・雅典師)、田村幸一師、藤高隆雄氏、藤井真司氏、そして柳浦正明氏、松田隆氏……。いやいや、師にもライバルにもこれほど恵まれていたとは、今にして思えば、強くならない方が変ですねえ。もっとも、学生として考えれば、1回生当時は森岡正幸氏(愛媛大、後に準アマ竜王、西支部名人)と重なり、4回生くらいから赤畠卓氏(岡山大、後に学生王将、番付横綱)の台頭というのが中四国学生棋界のライバルかな・・・。宮本浩二、開原孝治両アマ名人はまだまだ可愛い私のお弟子さん(⇒自慢すな!!よく負けてたくせに(^^;;) ただ、3〜4回生の頃、ようやく中央に目が向き出し、「打倒関東学生」の鼻息が荒かったっけ。金子タカシ氏、小林庸俊氏、佐々木修一氏等当時の学生タイトルホルダーには、負けたくなかったなあー(^^)。特に小林氏は、同期でもあり意識してましたよ、はい(小林氏はどう思ってたんだろう(^^;;) 四日市で行われた第2回マスターズ。初顔合わせの一局は、確かに燃えましたねえ(そういえば、当時の氏の自戦記を読み返すと…う〜ん、多分に、意識してるような…いないような…(^^)) (4)リコー時代(25〜32歳) そして憧れの(株)リコーに入社!! でもねえ・・・(^^;; 販売実習は地獄だったぞお…おおっと、これを書いちゃあ野山さんにどつかれる(^^;;あ、でも、でもね。今は全然楽なんだよ。あれは旧時代の遺物だったんだから…(^^;;;;; 将棋部ではみんなが良きライバル。谷川俊昭、野山知敬、瀬良司、藤森保、名田満、南尚文、佐々木修一等々の諸先輩方、そして同期の牧野正紀君。あとで菊田裕司も入ったけど。鷺沼の丸山荘「牧野室」や宮崎台の吉中さんの豪邸マンションに、みんなに集合をかけて、散々やった研究会。終わった後の飲み会。あー、楽しかったなあ。そして私なんか、このときの蓄積が「平成10年」に出たんだと、今、思うんですねえ(長嶋茂雄風に)。 ただし、対外的には…。やっぱり負けたくなかったのは小林庸俊氏。個人的には、彼と飲みたくてウズウズして、後によき兄貴分の小島さんに仲介の労をとっていただき、銀座でデ−ト(^^;;;したことも2回程ありましたが…(^^;; …これと将棋とはまた別モノ(^^)。氏と指すときは闘志が燃えましたねえ。と、いうわけで、今回の思い出の一局なるものは、1987年度GC戦から対小林戦をあげておきます。 (5)熊本時代(32歳〜現在) そしてリコーを退職。天草の片田舎に引っ込んで現在に至るワケですが、徐々に「将棋を指すのはもういいや(^^)」っていう気分になりつつあります。つまり「ライバル」が身近にいなくなっちゃったんですねえ。2時間以上かけて、熊本市内までしょっちゅう出かける根性(若さ)があればまだしも、このじじい(⇒やめろ〜^^;;)にはもう無理で、このまま朽ち果てていくんでしょうかねえ(^^) (次回は開原孝治さんにバトンタッチ) |