リレーエッセーその29

わたしの回想録

佐藤公一



 前任者から急にこのエッセーへの依頼を受けてしまい、はて? どうしたものかと思い悩む。ゴーストライター頼むお金なんて勿論持ってるわけないしなあ! 引き受けるべきかあるいは受けざるべきか? ハムレットの心境に近かった・・・。To be, or not to be? (そういえば昔、「とべ、おれのととべ!」と読んだ友達がいたなあ)

 結局引き受けることになったのだが、はて? エッセー(随筆)ってどういうふうに書くの? 昔からエッセーといえば「春はあけぼの やうやう白くなりゆく山際・・・」とかあるいは「徒然なるままに日暮し・・・」等があるけれど・・・(私はどちらかというと後者が好きだ。ただしわたしの場合「ものをくれるよき友」はまわりにいないのが至極残念ではあるが)。確か3大随筆とかいって何かもうひとつあったような気がするのだけど思い出せない。

 そんなことはともかく、ああこんなことなら学生時代もうちょっとまじめに国語の勉強しておくのだった(特に作文)。こんな将棋の弱い奴が、まさか強豪が名を連ねるこの場に登場するなんざ、完全に場違いも甚だしい・・・(決して謙遜なんかではなくホントにそう思ってます・・・)。しかもエッセーなんてやったことないのに果たしてかけるのだろうか? 仕方がないので(?)以下はやや開き直って・・・将棋との出会いから書くこととする。

 私が将棋を覚えたというか駒に初めて触れたのは、月並みですが小学校の頃です。しかも最初はいわゆる「本将棋」ではなく休み時間に「山崩し」をクラスの友達に教えてもらいました。(この前、立ち読みで何かの本を見た際に「山崩しのプロ」なる者が実際に存在することがわかって驚いた。いわば「けんだま名人」みたいなものなのかなあ?)その後は必然的に(?)「回り将棋」へと展開していくのであった。というか、「山崩し」と「回り将棋」はペアみたいなもので最初「山崩し」を2〜3回やったあとその後に「まわり将棋」にはいるというのがその頃の定跡であった。あるいは「歩」と「と」で「はさみ将棋」をするとか駒の表と裏の部分(通常は黒と赤)を使って「オセロ」代わりにやっていた者は…さすがに居なかった(大体において駒の枚数が足りない)。

 そしてついにいわゆる「本将棋」と呼ばれる、現在もやっている面白いゲームとの出会いである。友達に駒の動き方を教わりやってみる。じゃんけんで先手後手を決め(今となっては懐かしい)初戦はたしかこういう風に進んだと思う(先手友達)。▲2六歩△6二金!▲2五歩△7四歩▲2四歩△7三桂!!!▲2三歩成(ぎゃあ…)

 当然簡単に負けた。気を取り直し、別の友達と今度こそは、と雪辱するつもりで臨んだ次の1局(先手わたし)。▲2六歩△3四歩▲1六歩△7四歩▲1五歩△7三桂▲9六歩△6五桂▲9五歩!△5七桂不成(うげげっ…)

 なすすべもなく連敗。悲しいかな、何せ守りというのを知らず、またどうやって攻めたらいいのかも全然しらないでやっていたのだから(皆さんのなかにも心当たりのある方は多少なりともいるはず)。しばらく私はMy friends(複数形)に徹底的にカモにされた。いや、カモがねぎをしょって、おまけに帰りには「お土産」まで与えていたようなものだったかも知れない…。あまりに悔しいので、「将棋入門書」を1冊購入して一生懸命読んだ。このとき初めて棋譜の読み方がわかるようになった。「囲い」や「相手の攻め方」等、学校の勉強や他の遊びよりもずっと夢中になった。そして、初めて覚えた戦法と呼べる「棒銀」でMy friendsに逆襲をかけるべく次々と対戦を挑む。▲1五歩△同歩▲同銀からの端攻めがうまく決まって面白いように、ようやく復讐をどんどんと成し遂げるのであった。余談だが(余談が多いなあ)そのころ飛車を振って戦うという発想は誰一人としてなかった。

 以後も私は将棋に夢中になって、「パチリ パチリ…」の音が家で聞こえない日は珍しくなる。これが高校生の最初くらいまでは続いたと思う。ところがこの辺を境にピタッと私は将棋を指さなくなり以後10年以上余り将棋とほとんど縁のない生活になっていくのだ。今思うととっても惜しいことをした。他の趣味や遊びに夢中になっていたが少しでも将棋に触れておけば…。今よりは強くなれたに違いない。

 そうこうしているうちに時は流れ、私はある日何気なく「スーパーファミコン」の「二段 森田将棋」を購入する。これで仕事がおわった後の余暇などに再び将棋を指すことになる。「PS」はまだなく、現在のようにPCでのネット対局がまだ一般的になる前のことである。ところがこれまたこの「ファミコン」がなかなか強かった(と当時は思った)。特に「五分切れ負け」3本勝負になると、どうしても3連勝目でつまづく。久しぶりに将棋で熱くなった私は何度もチャレンジしてようやくクリアできたのだ。「二段 森田将棋」は3連勝してその他諸々の手続きをとると日本将棋連盟から「有段者」の認定がされて、免状がもらえるシステムになっていたが、当時はあまり興味がなかったのでしばらくはただのゲームとして遊んでいたに過ぎなかった。その後1年ほどして、やっぱり「有段者」の資格がほしくなった(なんらかには役立つかなあ。たとえば就職の際の資格とかなんてことはないけど・・・)。それでようやく申請して「有段者」の仲間入りをさせてもらえるようになった。

 その数年後、私はPCをやっとこさ購入して、今度は「ネット将棋」で将棋を指すことを覚えた。ほとんど大会に出たことのない私にとって(というか忙しくてなかなか参加できない)電話回線を通しての対戦によって将棋を指す機会が圧倒的に増えることになる。それと「チャット」というものでの会話もまた新鮮であった。ただ最初はいわゆる常設ではなかったので通信費がべらぼうにかかったのを思い出す。そして「ネット将棋」は2〜3ヶ所くらい体験したが将棋倶楽部24で指すようになってから尚更「ネット将棋」を通しての知り合いが一気に増えたように思う。今回のエッセーの依頼をされたのも、こちらが次にお願いした人も、いずれも将棋倶楽部24での知り合いである。その他ココのエッセーに過去出場した(?)人の中にも会話をした方も何人か居る。まったく相手の顔を見ないで将棋がさせるようになるとはまったく持って便利な時代になったものだ。それが物足りないという意見も当然あることはあるが・・・たぶん、私はこれからも「ネット将棋」を中心に将棋をさしていくことになるんだろうなあ! 今度機会があったら大会にもでてみたいとは思う。

 冒頭から、徒然なるままに思いつきで筆を進めてきたので(?)何かめちゃくちゃな文章になってしまいましたが、ここらへんで私はおいとまさせていただきとうござります。こんなエッセーを掲載させていただいた管理人さん、それから最後までお付き合いいただいた皆さんにこの場を借りてお礼申し上げます。私の次に登場される方は、私なんかよりもずっと強く、しかも大会等にも多数参加されているので面白い話が聞けそうだ…
。期待してお待ち申し上げておきます。


尚、この話はほとんど「ノンフィクション」であり事実に基づいて書いたつもりではありますが、なにぶんにも作者のいい加減さ記憶の曖昧さにより一部事実と反する部分があるかもしれません(特に棋譜)。



(次回は田村純也さんにバトンタッチ)