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リレーエッセーその34 後藤元気 |
なくしたものはなんですか? 手に入れたものはなんですか? 初めて将棋道場に行った12歳の正月。駒の動かし方ぐらいしか知らなかった僕は連戦連敗。手合いカードに黒星を並べ続けて一ヶ月。少しずつ勝てるようになり気がついたら3級に昇級していた。席主の原子正博さんにはお世話になったなぁ……。 暑さの中、自転車こいで将棋指しに行ってた13歳の夏休み。この頃には三段になっていて、トーナメントやリーグ戦で貰った賞金片手に古本屋通いしてったけ。年下のくせに妙に生意気な兒玉安雄君や、あまりの強さにまるで歯が立たなかった上野晋吾さんと朝まで指し続けたのが昨日のことのよう思える。2回も反則負けした一回目の奨励会試験。もしタイムマシンがあったら布団かぶって朝まで泣き続けた自分に、実力が足りなかっただけだと言ってやりたい。 たくさんの大会に出て力をつけていった14歳の夏。特に印象に残るのは中学選抜で島村健一君に勝ったときのこと。周りはもちろんのこと自分でも信じられなかったけれど、これが自信になって2回目の奨励会試験に合格することができた。 15、16、17の頃は将棋以外にも楽しいことがあることを知り、遊びに精をだすようになる。いっちょまえに恋愛したりして、当時付き合っていた彼女に「わたしと将棋どっちが大切なの?」などとタワケた事を言われ、「将棋に決まってるだろ」と言った瞬間飛んできたビンタはいろんな意味で痛かったな。青い時代の1ページ。今ならもっとうまくやるだろうに。 18から22までは更にタガが外れたように遊びまわる。 千葉幸生、佐々木慎、河上雅史らとつるんで高橋央さんの家になだれ込み、朝まで将棋指したり、たまに真面目に語ったりした。年齢制限が甘くなりいつでも初段になれるだろうと油断していたのが大間違いで、このあと地獄を見ることになろうとは……。 年齢制限までの半年のことは正直書きたくない。自分の中で消化しきれていないし、うまく言葉にすることはできないと思う。今言えることは、その半年間で相談に乗ってくれた人や、僕のために泣いてくれた人への感謝の言葉だけ。特に師匠である所司和晴六段。こんな不良弟子を見捨てず暖かく見守ってくれる人。頭が上がりません。いつか恩返しができたらと思ってます。 なくしたものはなんですか? 手に入れたものはなんですか? なくしたもの? たくさんありすぎて数え切れないよ。 手に入れたもの? そんなもんないね。 だけど守ってきたものは一つだけあるよ。消えないように、壊れないように、そぉっと持ってたもの。それは何かって? ほら、君も持ってるじゃない。 「将棋が好き」って気持ちをさ! P.S. (次回は矢内理絵子さんにバトンタッチ) |