リレーエッセーその38

思うこと

木村洋子



 7月のある日。「村松さん(私の旧姓)お話があるんですが……」と神妙な顔つきの遠山三段からそう言われた私は、『何だろう、恋愛の相談?? 昔は恋愛沢山したからなぁ。奥さんになって落ち着いたから相談にきたのかしら?』と、のんきな事を考えていた。しかし彼の口から出てきた言葉は「実は東大将棋部の掲示板にエッセーを僕の次に書いて欲しいのですが……」だった。心の中で思った事も、声に出した言葉もどちらとも『ぎょえ〜! なんで〜!』だった。暫く悩ませてちょうだいと、返事を保留させてもらったものの(とは言ってもバレーボールをして遊んでいた程度の時間しか悩んでないが)、腹をくくって書くことにした。

 しかし、一体何を書けばいいのかさっぱり分からない。過去のリレーエッセーを見ると笑える事、泣ける事、考えさせられる事等、様々な事が書いてある。しかも第1回目の篠田さんのを拝見すると、思い出の一局、将棋を始めたきっかけ等を書いて欲しいとの希望が書かれている。しかし、思い出の一局を思い出せもしないし(記憶力が悪い)、洒落た事も書けない(文章能力が無い)。将棋を始めたきっかけぐらいは書けそうだ、と思ったけれども、あまりにも不純な動機で恥ずかしい。かれこれ何だかんだと考えて一度はエッセーを書いたものの、結局堅苦しい面白くない文章になってしまったので、書き直しここにたどり着いた。それにしても将棋をやっていなかったら、このエッセーにはたどり着かなかっただろうなぁ……としみじみ思った。

仲間

 十ン年前に将棋大会で出会った仲間がいる。男も女も感じさせない仲間で、出会った当初は頻繁に会って遊んだ。将棋も(今では信じられないが)指した。今でもたまに会うのだが、色々な話題が飛び交う中、決まって将棋の話がメインである。しかし結婚したり子供が産まれたり…と、取り巻く環境は大分変わった。でも中身はその頃と全然変わらない。昔、『恋愛には終わりがある(多分)けれど、友情に終わりはな〜い!』と思っていたのだが、私に関して言えばその通りで、恋愛は……終わりばっかり、友情は……今もなお健在なのです(良かった!)。今はただしみじみ、仲間と出会えることができた将棋に感謝しています。

緊張感

 「次の指し手より一手30秒以内でお願いします」
 そう言って私は対局者の指し手を見ながら秒を読む。対局者は秒読みに慣れていないようで急に焦りだし、指し手が乱れ、成れない場所に駒が成ってしまった。対局者の額には玉のような汗。きっと緊張したのだろうなぁ……。
 そんな対局者を見て、最近自分はドキドキすることがなくなったなと、ふと思った。『私も十ン年前は緊張しながら将棋を指していたのだけど……』。あの頃の私は下手なりに将棋を楽しんでいたと思う。他人から見れば「それで読んでいると言えるの?」と思うような手を読んでいるつもりなっていたし、相手玉を詰ませることもできないのに、詰むんじゃないかと思っていたり(時間の無駄)、「君、ホントに将棋やってるの??」と言われるようなことばかりしていた。それでも、試合の前になれば一応練習した(一夜漬けだけれど)。
 自分では変化が読めないから、将棋部の人達に「こう指すとどうなるの〜?」と、助けを求めてばかりだったけど(神奈川大学将棋部の皆さんお世話になりました)。
 だが、たいして練習もしていないのに試合になると、どうしようもない緊張感が体中を駆け巡り、じっとしていられなかった。試合中ももちろん緊張するのだが、持ち時間が切れ秒読みになったりすると緊張感が更に倍増した。特に相手玉を詰ませる時は心臓が飛び出しそうなくらいドキドキしたものだった。

 しかし、今はあの頃と同じように対局で緊張感を味わう事はない。
 将棋に関わる仕事をしているにもかかわらず、将棋を指す機会はメッキリ減った。そのためなのか、将棋を指すことに対する興味が薄らいでしまった。自分が将棋を指す側の人間ではなくなってしまったからなのか、どうなのかは分からない。だが幸いな事に(?)結婚してからは違った緊張感を得るようになった。それは、ダンナの対局結果を知るということである。結果を知るまでの時間も緊張するが、聞く瞬間は……! 将棋をやってなかったらダンナにも会わなかっただろうし、こんな緊張感得ることなかっただろうな〜と思います。

 という訳で、次は今までにない緊張感を与えてくれる木村一基さんにバトンタッチします。どうも拙い文章にお付き合いくださり、有難うございました。



(次回は木村一基さんにバトンタッチ)