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今回リレーエッセイを書かせていただくことになりました。何を書こうか迷いましたが、せっかくの機会なので、僕が将棋とどう関わってきたかについて書かせていただきたいと思います。
僕が将棋を覚えたのは4歳頃でした。四段の腕前だった父が教えてくれ、しばらくは駒落ちを指したり、手筋集を読んだりしていました。幼稚園、保育園には行かずに、どこかに遊びに行ったり、本を読んだりというのが日々の生活だったので時間は十分ありました。
小学校に入るころ、父は地元の将棋教室に連れて行ってくれました。はっきり覚えていませんが、師範を務めていらっしゃったのは北村昌男先生、瀬戸博晴先生だったと思います。結局小学校2年か3年の頃に止めてしまいましたが、ここでは対局マナーや駒落ちの定跡など将棋の基本を身に付けることができ、プロの先生には六枚落ちから始まって飛車落ちまで一応こぎつけることができました。(実力はそこまではなかったと思います。)教室のみなさんもいい方ばかりでとても楽しかったです。
小学校に入ると実力も有段になり、大会に出場してみるようになりました。小学生名人戦をはじめ、デパートの大会、アマ竜王戦の東京都予選など色々出てみました。小学生名人戦は結局2年の時のベスト32が最高でしたが同世代の人達と対戦でき、(名人戦で横山泰明さん、デパートの大会で宮田敦史さん、馬見塚明さん)今思えば貴重な体験だったと思います。
中でも思い出深いのが2年の夏休みに行われた「夏休み子供特訓リーグ」に参加したことです。このイベントは当時奨励会上級位者だった池田将さんが優勝されましたが、当時二段ちょっとの僕は唯一勝てそうだった高橋和さんにも敗れてしまい、8戦全敗と散々な結果に終わりました。池田さんとは将棋にもならず、自分の力のなさを思い知らされました。
小学校も4年あたりになると友達との時間が増え始め、将棋はほとんど指さなくなりました。このあたり父はプロを目指させようかどうか悩んでいたようですが、結局中学受験をすることになり、当分将棋から離れることになってしまいます。まあその方が冷静に好手だったと思いますが。余談になりますが、我が家はテレビゲームの導入にかなり消極的でした。しかし、このころ父に7番勝負をひたすら挑んだ上で、やっと、初めて制して、当時念願のスーパーファミコンを買ってもらうことに成功しました(笑)。
さて、中学受験で麻布中学に入学したわけですが、部活には週1回参加する程度であまり熱心な部員ではありませんでした。実力はブランクがあるとはいえ三段くらいだったので、同学年の中では抜けていましたが、将棋部でなかなか親しい友達が出来なかった事と、クラスの友達とサッカー同好会のようなものを結成し、そっちに毎日のめりこんでいたというのが理由で、今思えばしっかり行っておけば良かったな、とも思います。
結局1年の冬には行かなくなってしまい、またブランク時代突入となってしまいます。
サッカーばかりやっているうちに中学3年になってしまいましたが、そこで同じクラスになった日野英一郎君との出会いが僕と将棋をまた結びつけることになりました。日野君は将棋部の池田陽一君と同じクラスだったことがあり、池田君と将棋を結構指していたようです。この年は日野君とあと数人でよく将棋を指していましたが、3年も後半に入ったころ日野君が将棋部に入るつもりだと言うので、自分もこの機会に復帰させてもらおうかと考え、1月に一緒に部に戻りました。日野君には本当に感謝しています。
ところが、部に戻った直後は知り合いも少ないため大会に参加せず、活動では迷惑をかけました。申し訳なく思っています。
しかし、しばらくして代が変わって高1になり、後輩と仲良くなってくると部活が楽しくてしょうがなくなり、毎回楽しみになりました。この代には日野君、池田君、永井敏樹君がいて、本当に楽しかったです。毎日切れ負け真剣と10秒将棋ばかり死ぬほど指しまくっていたおかげで、小学生の時は居飛車党だった棋風も穴熊大好きになってしまい、荒い将棋になってしまったというマイナスポイントはありましたが(笑)、棋力も再び向上するようになりました。
高1の春に高校選手権団体戦の校内予選に参加させてもらいましたが、先輩の壁は厚く、代表の3人に入ることはできませんでした。実力不足なので仕方がないと思いましたが、これ以後「代表を掴み取って全国大会で優勝するんだ!」というのが自分の目標になりました。この年は団体全国4連覇の翌年だったのですが、残念ながら東京都予選でまさかの敗退となってしまい、勝負は何がおきるかわからないものだという事も実感しました。
団体戦は勝てば個人戦の何倍も嬉しいですが、負けるとその逆で何倍も悔しく、辛いものだと僕は思っていて、そこがやはり団体戦の魅力ではないかと思います。
翌年の校内予選ではなんとか2位になることができメンバー入りしました。この時は「麻布の代表メンバーになれた!」とかなり嬉しかったのを覚えています。結局市川敏之さんと鈴木琢光さんと3人で鳥取で行われた高校選手権に出場し、見事優勝することができました。あの感動は本当に忘れられません。もともと個人戦はあまり気合が入らなかったのですが、団体戦は本当に大好きで、今でもそれは変わりません。
さて、当時の東京都の勢力図は麻布が中心ではありましたが、強敵がいました。その筆頭が伊藤享史君で、僕は全国大会を懸けた勝負で3回も負かされ、痛い目を見ました。冷静に彼のほうが強かったと思いますが、いつの日か追い抜きたいと思っている相手です。
部内で指すほかに時々道場にも通っていました。御徒町将棋センターや、今はもうありませんが、新宿にあったザ・将棋にはよく行っていました。
こうして部活とサッカー(相も変わらず)ばかりやっていた高校時代でしたが、ついに3年となり最後の年を迎えました。
3年の高校選手権は部内代表にはなり、大将で全勝したものの、チームは残念ながら東京都予選で敗れてしまい、何も手につかない状態が続きました。しかし、時期が時期だけに、先延ばしにしていた受験勉強を6月あたりにいい加減やらざるを得なくなりました。自分なりにしっかり勉強はした結果、早稲田の法学部に進むことに決め、後は卒業を待つばかりとなりましたが、最後にまだ大仕事が待っていました。
キリンビバレッジカップ第3回学生選手権。大阪で行われるこの大会に突然出てみようという話になり、高3の池田、高木、永井、高1の山内一馬、山内祥敬というメンバーで出ることにしました。勢いだけはあったと思いますがあれよあれよという間に強豪校を破っていき、優勝決定戦の立命館大学戦では僕の勝利で優勝を決めることができました。高校生活最後の最後にこのチームのみんなと戦えたことは幸せでした。この時も高校選手権優勝と同じくらい感動しました。本当に団体戦の優勝は格別です。
僥倖にも有終の美を飾ることができた僕は、大学将棋界に足を踏み入れました。学生将棋は60秒将棋ということもあってレベルが高く、もまれているうちに切れ負け中心だった高校時代よりも、多少なりともしっかりした将棋が指せるようになったと思います。これは早稲田の先輩方のおかげで、本当にいい環境に恵まれていて幸せだと感じています。ただ、切れ負けは僕の性格に合っているようで、最近指す機会は激減しましたがたまに指すと楽しくてしょうがないです。たまにはひたすら切れ負け将棋を指したいなと思います。
今後の課題としては、目標である団体戦では入学以来選抜トーナメント決勝で2年連続の3−4負けを喫して地獄を見る羽目になっているので、主将を任された今年こそは、なんとしても宿願を果たしたいです。
将棋と出会ったおかげで色々な出会いがあり、色々な経験ができました。これまでに出会えた仲間達やライバル、優勝の感激、逆に挫折の苦しみ、悔しさ。みんな得がたいもので、将棋をやっていて本当に良かったと思います。来年は司法試験の勉強を本格的に始める予定なので、どれだけ将棋に取り組めるかわかりませんが、これからも将棋を続けていきたいと思います。
もう早いもので大学3年目も終わりが近づいてきましたが、大好きな団体戦を戦えるこの時期を大切に過ごしたいです。
最後になりましたが、こんな文章を読んでくださった皆様、有難うございました。
次回は多部美佐恵さんにお願いします。いつも元気な彼女を見ているとこちらも元気が出ます。
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