リレーエッセーその59

将棋サークルのない大学

武藤仁志



 高校3年生の高校選手権の敗戦から1年半の受験勉強を終え、東京医科歯科大学に入学したのが5年前。快適な医学部ライフが始まるかと思えば…何かが足りない。何かと思えば、将棋っ気のかけらもないのです。

 将棋を指す人がいないわけではありません。
  私より1年先に、同い年で麻布の高校選手権団体3連覇のメンバーだった若林健二君が入学していました。将棋は指さないのかと尋ねてみましたが、彼は笑ってチェロを弾いていました。
 同じ学年にはやはり団体で全国大会を経験している郡司知彦君がいます。彼と初めて会ったのは1年の終わりごろ。今度将棋を指そうと話したものの、学部が違うこともあって次に会ったのはその1年後です。
 2年になったら、私の後輩で実力者の鈴木道隆君が入学しました。彼とも頻繁に会っているのですが、これまでに将棋を指したことは数えるほど。
 やはり将棋サークルがないと、多忙で生活バラバラな大学生活ではなんとなく将棋を指さないままになってしまうのです。

 しかし、ひょっとしたら将棋を好きな人は山ほどいるのではないか。機会さえあれば皆将棋を指したいと思っているのではないか。そう思って2年の秋に学内で大会を開きました。自前でポスターを作り、賞品も用意しました。どれだけ来るだろうとわくわくしていたら、来たのは郡司君だけ。懲りずにもう一回やってみたら、今度は鈴木君だけ。さすがに3回目をやる気は失せました。

 自分はどうにも将棋中毒に陥ってしまい、慶應大学将棋研究会のごやっかいになったり、詰将棋にはまったり。それでとりあえず満足していたのですが、3年の冬に王座戦の応援に行くと気が変わりました。日本一を狙う選手たちの熱気と、ぴんと張り詰めた緊張感。チーム一丸となって戦う苦しさと、勝つ喜びと負ける悔しさ。もう一度あんなふうに頂点目指して戦ってみたい…と。

 するとタイミングよく?翌年、学生名人戦への出場権を得るために団体戦に出場することになりました(当時の関東は個人戦の結果に団体戦での個人成績を加味するシステムでした)。前述の人たちに声をかけてみましたが、出場したい気持ちは強そうなのですが、何しろゴールデンウィークということもあって皆忙しそう。7人制の団体戦だというのに、無理をしたとしても3人集めることも難しい状態。チームが勝てない勝負をするのも馬鹿らしいと思い、結局初めて大学の名前を背負って出場した団体戦は、まぬけにも自分がひとりで座っていました。
 秋も十傑戦の目があったので出場することもありえたのですが、他の選手の状況は春と同じ。自分も忙しかったこともあって諦めてしまいました。団体戦はやはり無理かなぁ、などと思い始めていたのですが…。

 大学5年目の翌年、すごい新入生が入ったと友人に聞きました。それが星野義人君でした。中学生名人など輝かしい経歴を持っています。彼も個人戦へ出場し、すぐに一流のレベルで活躍しています。

 若林君がこの年で卒業というラストチャンス、彼も相当多忙な時期でしたが1日だけあけてもらい、郡司君と鈴木君も快諾してくれ、選手を5人そろえてようやく全国オール学生団体戦への出場が実現しました。大学5年目にしてついに初めての団体戦でした。
 団体戦は高校までにもやってはいたのですが、ずいぶん印象が違いました。選手みんなが待ち望んでいたものだったかもしれません。勝ち負けだとか失敗にこだわらず、互いに励ましあったり自ら楽しもうとする姿は、自分が経験したり見聞きしたりした団体戦とは違いました。成績も思った以上によかったのですが、何より自分も含めて皆が楽しめたことが嬉しかったです。大学将棋では、自分にとって学生名人戦以上の思い出になりました。

 それから1年。また多忙に追い回され彼らとゆっくり話す余裕もあまりなく、学内で将棋を指す人の姿を見ることも、将棋の話が出ることもありません。私が入学したときと何一つ変わらないままです。
 私はもう思う存分大学での将棋を楽しみましたが、後に続く人たちに何も残せたものがなく、それだけは心残りです。



 次は若手詰将棋作家の糟谷祐介さんにお願いします。作図については私はただ関心して眺めるだけというくらいに優れた独創性と図化能力を持っています。看寿賞を取られる日を心待ちにしております。

(次回は糟谷祐介さんにバトンタッチ)