リレーエッセーその73

打倒!早稲田

東野徹男



 第1走者の篠田さんのエッセーをご覧になればお分かり頂けるのですが、第2走者は僕の予定でした。しかし、「最初から身内でつなぐと、マンネリですぐ終わってしまうのでは?」ということで、僕が書くという話はお流れとなりました。そうして回り回って足掛け2年で70数人、予定を大幅に上回る?方に参加頂いて、大変感謝しております。

 さて、最初にエッセーの話があった時も困ったのですが、僕の場合、書くネタが学生将棋のことしかありません。というわけで、最大のライバルであった早稲田大学との団体戦の思い出を振り返りたいと思います。しばらくおつき合いください。


 将棋は中学生で覚えました。学校の将棋部が中高共通だったため、早くから、「高校選手権の団体戦で日本一になる」という目標を持っていました。まあ、個人戦に出られるレベルではなかったということが本当のところかもしれません。高校時代に全国大会に2回行きましたが、ともに1回戦負けでした。

 会場を後にした時から、大学でも団体戦で将棋を指したいと思うようになりました。顧問の先生に頼んで、「力戦」(関東大学棋界誌)と「銀杏の駒音」(東大将棋部機関誌)を入手し、臨場感あふれる自戦記・観戦記を繰り返し読みました。松本誠さん(東工大OB)の自戦記にあった「歩の内側から駒を押し上げる」という将棋に感銘を受けました。また、「斬り合い負けよりジリ貧負け」、「優勢な時は負けない手を指す」、「実力に余程の差がなければ気持ちの勝負」など、真偽や善悪は別として、学生将棋の特徴は大学に入る前に頭に叩き込みました。この2冊の本の影響で、学生将棋という世界に強く引き込まれていきました。

 平成6年に東京大学に入って1年生の春の個人戦でベスト16の成績を残し、レギュラーとして使ってもらえるようになり、その冬の王座戦で、あっさりと目標であった団体日本一となりました。あっさりと、と感じたのは自分が貢献したという感じがあまりなかったことと、早稲田がいなかったことが原因だと思います。いつの間にか、自分の中で目標が「団体日本一」から、「四日市で早稲田に勝って優勝」にすりかわっていたのです。

 なぜ早稲田を意識したのかというと、その強さはもちろん、早稲田大学将棋部特有の雰囲気こそが、大学に入る前に僕が学生将棋に対してイメージし、憧れていたものだったからです。当時、僕は多くの早稲田の部員と交流させてもらい、部室にも何度も足を運び、合宿にもお邪魔しました。そういった中で、気合を前面に押し出す早稲田のカラーが自然と体にしみついたのかもしれません。早稲田の中でも特に豊島英さんの存在に大きく影響を受けました。豊島さんは東大・慶応に滅法強く、また団体戦で実力以上の成績を残しているところに自分と同種のものを感じていました。同時に、この早稲田というチームに勝ちたい、という気持ちが知らないうちに強くなっていったのだと思います。

 将棋の勉強は、一日中30秒将棋を指すことが主でしたが、当時の学生将棋界で流行していた戦形は相当深く研究しました。関東A級リーグは棋譜が全て残っていますし、早稲田に関しては機関紙「稲棋」や部内誌「チャンピオン」があり、ネタには事欠きませんでした。研究を大学の仲間に見てもらい、試行錯誤を繰り返しながら、我流の対策を整えていきました。また、駒を持たないときはイメージトレーニングをするようになりました。スポーツ選手が行っているものと同様で、自分達が勝つシーンを思い浮かべるというものです。今振り返ると恥ずかしいものですが、大げさな言い方をすると、団体戦には日常の一切をつぎ込む価値があったということです。

 関東のリーグ戦会場は、毎回息苦しいほど張り詰めた雰囲気が覆っており、この雰囲気の中で、大勢のギャラリーに囲まれて将棋を指すことが僕にとって何よりの楽しみでした。ギャラリーが多ければ多いほど、プレッシャーが大きければ大きいほど力が出せたような気がします。団体戦で将棋を指している最中、苦しい時、不安になる時もあります。しかし、横を見ると、仲間が懸命に戦っているのが見え、顔を上げると、食い入るように自分の将棋を見ているギャラリーの姿が見えます。そういった団体戦特有の風景が、一人の選手に力を与えてくれるのです。

 僕が2年生の時、関東では東・早・慶が三つ巴で頂点を争うという状況になっており、会場の雰囲気も僕が知る限り、最もシビアな、そして最も集中力を高めてくれるものでした。僕にとってこの年は4年間で最も思い出深い1年となっています。

 三つ巴の争いを東大と早稲田が勝ち抜き、王座戦では、最終戦で勝った方が優勝という状況で早稲田と対戦しました。この日、四日市で観測史上一番の大雪が降っていました。1年間の総決算の場を盛り上げるには最高じゃないか、と勝手に思い込み、昼食もとらず、対局の30分前から席について盤を睨んでいました。肝心なのは、気合だけは負けないこと…。早稲田は別室でミーティングを行っていたようで、時間ぎりぎりに会場に現れました。この時の早稲田のひとりひとりの表情は、このチームと戦えることを誇りに思わせ、同時に絶対負けたくないと感じさせました。

 四日市に行く前から分かっていましたが、僕の相手は豊島さんでした。将棋は後手の僕が居飛車銀冠という戦形。実はこの将棋、棋譜を覚えていません。覚えているのは中盤の1手だけです。その局面を紹介します。

 ここで僕が指した手は△4七歩です。別にこれで形勢が良くなった訳でも何でもないのですが、この将棋に自分の力を100%以上出せると確信した、まさしく万感の思いを込めて、と言える1手です。

 この将棋を勝ち、チームも勝って王座戦5連覇、個人的にも全勝と、文句のつけようのない結果を出せました。夜、打ち上げの居酒屋で飲んだ「5年連続金賞受賞」の日本酒の味は、一生忘れることはないでしょう。

 大学の4年間で個人タイトルを取ることは一度もありませんでした。しかし、良きチームメイトのおかげで、団体戦の成績は胸を張って自慢できます。関東リーグ48勝8敗、王座戦33勝3敗:優勝3回。棋譜は並びませんが、その時チームがどういう状況だったか、自分がどういう気持ちで将棋を指していたか、ほとんど思い出せます。幸せなことです。


 本当は、団体戦の魅力というものを紹介したかったのですが、頭によぎるシーンは数あれど、いかんせん文章力がないため再現できず、断念しました。今後は、社団戦や団体GCなどの団体戦で指すことを楽しみに将棋を続けていくつもりです。

 自慢話ゆえ、文中に失礼な表現がありますが、ご容赦下さい。次のエッセーは、僕のライバルであり、戦友であった豊島英さんにお願いします。


(次回は豊島英さんにバトンタッチ)