リレーエッセーその77

結末

竹内俊弘



 金内辰明君からバトンを受け取ったのは3月中頃だった。以降、文章がまとまらぬままに時間だけが過ぎていった5月の始め頃、このエッセーのテーマを6月1日に行われる朝日オープン選手権1回戦の内容にすることを決めた。それは勝敗にかかわらず間違いなく自分にとって書くに値する出来事だと思ったからだ。もちろんその時点ではあのような結末になるとは思ってもいなかったが……。

 6月1日、私は朝日オープン選手権のアマチュア代表の一人として対局していた。初めてプロ棋戦に参加する私は普段味わえない独特の雰囲気を感じていた。そして、アマチュア大会ではまずあり得ない3時間という持ち時間で指せるのが何よりも嬉しかった。長考派の上に、秒読みで指すのが限りなく下手な私にとって時間を気にせず指せる本局は最高の条件だった。そしてここなら自分の指したい将棋が指せる、と思った。それは「プロの居飛車穴熊に対し、真っ向から無策振り飛車で挑む」というテーマである。この組み合わせは実戦的には限りなく居飛車穴熊が勝ちやすい、ということになっている。その要因として持ち時間が占めるところは限りなく大きい。アマチュアの切れ負け大会なら居飛車穴熊の勝率は8割を優に超えているだろう。プロの論調も同様である。だから現代では振り飛車党は相穴熊や藤井システム等で対応することが多い。しかし私はどちらもまず指さない。なぜなら信念に反するから。そう、「無策の何が悪い」という信念に。もちろん相手のプロからするとこんなにおいしい相手はいないわけである。当然のように松尾流の四枚穴熊を構築してきた。こちらは自分の中では斬新と感じた中央の手厚い陣形を構築したが、否定的な意見が多かった。でも私は気にしない。私には加藤一二三先生ばりの信念があるのだ。

 しかし、戦いが始まると形勢は居飛車穴熊側に傾いた。途中、私の指し手に問題があったところもあるのだが、開戦から十数手も進むと私はサンドバックのようになっていた。アマチュア大会ならもう秒読みに入っていて、すぐに潰れているだろう。だが、プロ棋戦ならまだ時間があるのだ。必死に読んだ私は徹底抗戦を続けた。こんな大舞台で他の誰もまずしないような(無謀だから)ことをしていることと、潰れるか受けきるかどうかというスリルの両方にしびれていた。これこそが自分の求めていたものなのだ。そうこうしているうちに相手は攻めあぐね気味になったが、私も時間切迫のためミスをして、紆余曲折の後に運命の局面になった。


 図は113手目の局面である。この時点で私は先にやり損なったせいもあり形勢不明ぐらいに考えていた。そしてこの後まだ数十手は続くであろう、と考えていた。この際に問題になるのはトイレの問題である。現状はまだ大丈夫であるが、この後の展開を考えると早めに行っておきたい。しかし、私は相当前から秒読みに入っている。どうしたものだか、という状況であるが私はこの局面の一手前の△2四角と指してトイレに行った。自分なりの確信があったからだ。

(1)40秒程度あれば用は足せるだろう。(根拠無し)
(2)この大舞台でプロが即座に指すわけがない。(単なる思いこみ)
(3)相手が秒読みになる前に行った方がよい。(さすがに秒読みになったら59秒まで待つ、といったようなことはまずしないだろうから)
(4)相手の指し手は100%▲4七飛だろうから△4五桂と指し手を決めておけばすぐ指せる。(善悪は不明)

 そして114手目の私の指し手は





 「時間切れ」。





 直後は放心状態だった。「こんな中盤の真っ直中で終わるのか」と何度も思った。だが、今振り返ってみると当然の結末だったのかも、と思う。なにしろプロはそれで生活しているのだから。今回の件については(2)と(3)の部分の私の解釈が軽率だったのだ。もっとも、そのまま指し続けていたとしても最後は時間切れになる運命であったのだろうと思うが。過去にこの様な事例で終局したということはあったのだろうか?

 対局後の酒席で、あるアマ強豪の後輩から「でも自分がその立場になったら絶対即座に指すでしょう?」という質問を受けた。人によって意見は違ったが、私は「絶対に指さない」と答えた。高校生時代なら間違いなく指しただろうが、年を経るうちに将棋に対する考え方が完全に変わってしまったのだ。今の自分にとって将棋は単なる勝ち負けよりも、それ以外の部分のほうが主になってしまったのだ。それは高校生時代の終わり頃に「もうプロになることのない自分にとって将棋での単なる勝ち負けというものはそれ程大きいウェートを占めるものではない」と思った時から。

 その後、ある棋士が「真剣勝負の場なのだから尿瓶にしてでも……」と言っていたのを伝え聞いたが、さすがにそれが将棋界の総意であるならいかがなものか、と思うが。この様な事件は後にも先にもこれだけかもしれない。また起こるとするなら、一番可能性があるのは私が再犯することなのかもしれないが。個人的には回数制限をした上で「トイレ休憩」のようなものがあってもいいと思う。第一、現制度では車いすが必要な身体障害者の人が対局することになったらどうするつもりなのだろうか。(可能性は十分あると思う)

 今回のことで運営の方々に御迷惑をかけたことをお詫び申し上げます。もし、いつか再び、プロとの対戦の機会があるなら、次はすっきり決着を付けたいと思う。もちろん無策振り飛車で?!



 最後に、管理人さん、原稿が大幅に遅れて済みませんでした。

 次の走者である吉田俊哉さんは福島県棋界で一番読ませる文章を書ける方である。福島県だけに留めておくのはもったいないので、多くの方に氏の文章を楽しんで頂きたいと思う。


(次回は吉田俊哉さんにバトンタッチ)