リレーエッセーその85

@36

松田一彦



 去年、縁あって数年ぶりに強豪の集まる研究会に参加した。それを見たさる人に「復活への第一歩ですか」と言われた。素直に励ましだと思えばいいのだが、『復活、ということは今のオレは死んでるように見えるっちゅうこっちゃな』と胸の内で独りごちたのであった。どうやら年を取るとひがみっぽくなるらしい。
 大学に入るころ、学生強豪の多くが社会人になると勝てなくなってしまうらしいと聞いてはいたが、そのときは自分が36歳になったときの姿は想像だにしていなかった。今の僕は、卒業して勝てなくなる学生将棋OBの典型である。しかし、この15年間、僕なりに常にその場で最もやりたいことを選んできたつもりだし、比重を将棋にかけなかった分、見聞きしてきたことはどれもこれも捨てがたい。もっと将棋をがんばっていればよかったと、単純には言い切れないなあ。

 東京大学将棋部に在籍していたころ(昭和60〜63年)は将棋を指す理由、目的は明瞭であった。まず、関東学生リーグで優勝すること。当時は関東で勝つことの方が王座戦で優勝するよりも難しく思えた、今からは想像もつかない時代でもあった。手厚いチームメイトに恵まれて8回のうち4回優勝できた。最終日の新宿の飲み屋前での胴上げは忘れられない快感である。もうひとつは個人タイトルを目指すこと。学生名人、学生王将はとれなかったが、それも実力か。ともあれ、この4年間で自分の棋風が完成したと思う。
 卒業したときには漠然とした願望があって、それはアマチュアタイトルをとることとアマプロ戦に出ること。在学中はアマ強豪といわれる他大学の人々との戦績も悪くなかったし、26歳のときに大阪の平成最強戦で決勝までいけたこともあり、もしかしたらという希望も持てた。しかし、それっきり。願望は願望のまま果たせずに卒業後15年たつ。幹事役ということもあって社団戦には毎年出ているのだが、こちらの成績も低落傾向。理由はいくつかあるが、簡単に言えば強くなる努力をしていなかったから。普段指さない、情報を取らない、大会に出ない、などなど楽ばかりしていた。周囲のレベルは上がり、自分のレベルは下がる。勝てなくなり、将棋との距離が開くというサイクル。そんなある日、研究会に誘われて冒頭のセリフにつながるわけである。

 指してみれば将棋もけっこう楽しい。その後ふたつの研究会にぼちぼちと通うことになった。1年半経って盤数をこなして目は慣れてきたが、まだまだノタノタとカラダは重く、キレのある鮮烈な感触にはまだまだほど遠い。しかし焦ってもしかたない。「復活への第一歩」に、カチンときたからといって勝てるわけもないし、熱くなって猛烈に指しまくってすぐに結果が出るものでもないことはわかっている。今はひたすら走りこみ。
 あらためて周囲を見回せば、最近では学生将棋出身の選手寿命も延びて僕のように淡白なのはむしろ珍しく、30代後半を迎えても頑強な肉体とテクニックとを誇るバリー・ボンズのような強打者がごろごろしている。そんな彼らと一度でも多く最高の舞台で盤をはさんで対面できれば、それはきっと楽しいことに違いない。ここまでたかだか25年間、これからそれ以上に長いであろう将棋人生を、ゆっくりと、できれば少しでも上向きに走っていきたいと思いはじめている。


 次走者は、僕と将棋部の同期入学で、つかず離れずの付き合いが続いて19年目。現在は熊本棋界の重鎮となった古澤にバトンタッチ。



(次回は古澤貢治さんにバトンタッチ)