リレーエッセーその89

将棋が教えてくれたこと

古作 登



「遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ」(梁塵秘抄)

 バイオリン、水泳、将棋、囲碁、スキー、テニス…。当時お稽古事がブームだったこともあって、小学校に入る頃からいろいろ習い事、遊びをやらせてもらった記憶がある。そのうちの多くは興味が続かず“初段”のレベルにすら達することないまま縁がなくなっていった。
 そうした遊びの中で、覚えてから32年経った今でも続けているのが将棋だ。小学校2年生の終わり頃にルールを教わり、学校が終わると道場通い。週末は松下先生の土曜教室でお稽古と、将棋漬けの日々。半年ほどで初段、5年生の時には四段になっていた。いくつかの大会では良い成績を収めることもでき、中学生になっても興味が薄れることはなかった。アマトップを夢見て、ただひたすら楽しんで指し自然に力もついていった。
 そんな中、大会で見たささいな事から将棋に対する気持ちが揺れ始める。当時、予選では対局時計を使わないことが多く、その日は時間が来たら秒読みのシステムだった。
 自分の近くで有名強豪同士が対戦していた。早指しに自信のある一人の選手が駒を並べて十数手指したところで席を外し、仲間を誘って小声で「ちょっとお茶でも飲みに行こう」と話すのが聞こえた。待たされている相手の選手は頭に血がのぼっている様子。
 「憤兵は必ず敗るる」の故事どおり、結果は秒読み開始時刻の直前に戻ってきた選手の勝ち。このシーンは25年以上経った今でもはっきり覚えている。
 当時の自分はたぶん小生意気な少年だったはず。マナーを語れる資格はなかっただろうが、それでも「いくら強くても、こういうプレーヤーにはなりたくない」と思ったし、自分が大切にしてきたものが汚されたような気がして、この日を境に将棋に対する思いは徐々に薄れ、高校に入ってからはテニスに興味が移っていった。
 週3日の練習に春夏の合宿、2年生からは自主的に朝練もこなして週末はレッスンにも通ったが、初段レベルに達するのがやっとだった。大学に入って、体育会か強い同好会でテニスに打ち込むか将棋を再開するか迷っている時、小学校時代からお世話になっている先輩の田中孝夫さんに「テニスでは神和住プロに勝てないけれど、将棋なら○○プロに勝てるかもしれないよ」とアドバイスされ、再び将棋と縁が戻ることになる。ここで離れていたら今の自分はなかっただろう。
 大学将棋に半年ほど打ち込んだのち、より純粋に将棋を極めるべく奨励会を受験。プロになることはかなわなかったが6年10カ月の間、現在のトップ棋士達と競えたのは、得難い貴重な財産だ。
 奨励会在籍中で印象に残っているシーン。生活の懸かった大一番に臨んでいるプロが、終盤ハンカチで口元を押さえ吐き気をこらえながら指していた。そのプロは私と歳が近かったが、若くして結婚し乳飲み子もいると聞いた。
 「ここまで苦しい思いをして闘うのが棋士なんだ…」。その姿に心打たれると同時に、自分に果たしてできるのか、という不安も湧いた。振り返ってみると、人間として未熟だったし、プロを目指す者としては大甘だった。結果は正しく出た。
 会社に勤めるようになって14年、この4月に“不惑”を迎えた。上達はしていないけれどテニス、囲碁も続けられたし、三十代半ばから始めたスキューバダイビングや軽登山で大自然と接する時間も持てる幸運には感謝している。
 ただ、なんといっても一番多くのことを教えてくれた遊戯、それは将棋だ。勝っても負けても盤上は自分を映す鏡、日頃の行いが指し手に現れると信じている。今また童心に返って、楽しみながら己の足りないところを教えてもらうつもりだ。



(次回は古河彩子さんにバトンタッチ)