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リレーエッセーその91 夢の国へ 宮本聡之 |
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別に悪気はなかったんです。行ってみたかったんです。覗いてみたら行きたくなっちゃったんです。 気が付くと「夢の国」へ居ました。すると今度は何か忘れてるような気がしました。誰かそれは何か教えてくれませんか。誰か僕が誰だか知りませんか。 将棋を好きになったのは、小学5年くらい。でもヘボだった。中学1年の時、もっともっと好きになった。でもまだまだヘボだった。或る日、将棋道場の存在を知り悪友と共に訪れる。そこは今はなき阿佐ヶ谷将棋センター。10級と認定された。それから毎週土曜日、学校からタクシーを飛ばして通った。のめり込んだお蔭で、1年後には初段になれた。 ミーハーで、プロ棋士のサインを集めた。当時木造2階建てだった将棋会館にちょくちょく用もなくうろついた。今でも残っているが、切り張りしてしまったりしていて、とても先生方に失礼な状況になっていて、残念ながらお見せ出来ない。自慢の逸品は、お宅を2度訪ねて色紙に書いてもらった升田幸三実力制第四代名人の直筆サインだ。これだけは今も将棋部屋に飾ってある。 将棋会館で悪友と二人、うろついていた或る日、気のよさそうなおじさんに声をかけられた。「君達よく来るね、対局してるところ見たい?」それは讀賣新聞の名観戦子、ペンネーム『陣太鼓』で有名な山本武雄八段だった。私たちは思わず一瞬顔を見合わせたが、すぐにその「夢の国」への切符に飛びついた。 意外と狭い部屋で(多分八畳間)十段リーグが2局だった。部屋の中で山本八段の声がした。「可愛い中学生が二人見たいってんでよろしいですか?」悪友と肘で突つき合い「おいっ。可愛いだってよ。どうする?」とジタバタ、ドキドキした覚えがある。山本八段が出て来て「はいどうぞ。5分くらいしたら邪魔にならないように出てね」。ついに「夢の国」の扉は開かれた。 入るなり「君達どこから来たの」。神の声がした。当時、名人始めほとんどのタイトルを失冠したばかりとはいえ、棋界第一人者の大山康晴王将(段位などはいずれも当時)だ。今となってはなんと答えたか舞い上がって記憶がない。取り敢えず左右に別れてそれぞれの盤の脇に正座した。私は加藤一二三八段の横に位置した。それまで胡座だった加藤八段はあの軽い咳払いと共に正座に直り、やはり当時から長かったあのネクタイを直し、威儀を正してくれた。対照的に私達には眼もくれず胡座で盤にのめり込むようにして、マキ割り流と言われた人気の佐藤大五郎八段が熟考していた。その迫力は今も網膜に焼き付いている。すると加藤八段が歩をひょいと摘まみ上げ、背筋を伸ばしたままピシっと駒音高く指してくれた。その凛とした姿に惚れ惚れしながら礼をして退室したのだった。 なんとかしてあの対局室にもう一度入ってプロの空気に触れてみたい。そんな夢がいつしか私の中に芽生えていた。歌劇俳優として「駒音コンサート」の末席に加えて頂き、ひょんな事から多くの将棋界の人達と知り合う事が出来、観戦記を書けるようになった。最初は「将棋世界」だった。第27期女流名人戦、斎田晴子女流名人誕生の時だ。続いて「近代将棋」で倉敷藤花戦。どちらもとても楽しい経験だった。控室で多くのプロ棋士達と形勢を論じ、関係者と将棋界の裏話に嵩じる最高の一時を過ごせた。しかし何か物足りない。そう、僕が見た夢は対局者と共に居て、あの空間の空気を共有し、それを描写し伝える事なのだ。 その夢は昨年の夏に一つ叶った。「週刊将棋」のレディースオープンの観戦記だ。これは主催紙なので対局室にいられるのだった。だからずっと居てみた。女流戦とはいえ気持ち良い緊迫感だった。今年も「週将」は書かせて頂き、自分としてはノビノビしたものが出来、満足している。 今年に入り夢の袋にはどんどん風が吹き込まれている。正月に讀賣竜王ランキング戦の観戦記を西條耕一さんから頼まれる。竜王戦は持ち時間が長い。でも出来るだけ居てみた。感想戦が終わり連盟を出ると、すでに23時になっていたのは驚いた。続いて5月には産経棋聖戦予選が来た。掲載は間もなくなのでご覧頂ければ有り難い。「週将」のプロフィールの最後にも記したが、そんな訳で自分が夢の観戦記者になれたと勘違いしている今日このごろだ。 最近電車で偶然、久しく顔を見てないオペラ関係者と連続して会った。それ事態は珍しい事ではないのだが、二人とも第一声が「読んでますよ」と言うのだ。実は将棋ファンで、私の書いているものを眼にして楽しんでくれているのだ。「この間の舞台見ました」とか「最近、歌が絶好調だそうですね」などと職業を誉められたときよりも、はるかに嬉しかった。 次の夢は、将棋を題材にした創作オペラ(またはミュージカル)制作だ。どなたか良い台本を書いて頂けるとありがたいのだが…。いかがかな、サギ娘こと加賀さやかさん。 (次回は加賀さやかさんにバトンタッチ) |