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リレーエッセーその97 つれづれなるままに… 寺尾 学 |
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ベルギーでのちょっといい話。Shogi.Netを主宰しているPieter Stouton さんのつたえるところによれば、彼の地で将棋が広まったわけは以下のごとく。数々の国際的なチェスの大会でレフェリーやコーチをつとめていたRichard Verkouilleさんという方がいて、ある大会で日本人の参加者に質問した。 「どうして日本ではチェスを指す人がすくないのか?」 「日本には将棋≠ニいう日本人のチェスがあるからです」 「それはどんなゲームか?」 将棋があることでなぜチェスを指す人が日本で少ないのだろうと不思議に思ったVerkouilleさん、早速その日本人から将棋を教わったところたちどころに好きになってしまい、地元のゲントに将棋クラブをつくり、自らトーナメントを開催するなど積極的に将棋を広めた、という。 Verkouilleさんは亡くなる前、遺産の一部を「将棋の普及に使うように」と遺言し、ゲントで氏を偲ぶ将棋大会がそのお金を使って数年前まで開かれていた。 さて、そこまで氏をひきつけた将棋の魅力について海外の方はどのように感じているのだろうか。メーリングリストshogi-lの議論を思い出してみると、 * 駒の種類がチェスと同じくらいでなじみやすい。 * 成りがあるのも似ている * 取った駒を使えるというルールがゲームをより面白くしている * 先手と後手の勝率の差がチェスよりも小さい * 引き分け(千日手、持将棋)に終わることがチェスに比べ極端に少ない * 終局までの手数が適度(長すぎず、短すぎず) * 逆転が終盤でもしばしば起こり、指していても見ていても面白い * 日本には将棋のプロ制度があり、トップは億万長者らしい 等々がいわれていたと記憶している。 将棋は漢字の駒のままで世界に広がっていくことができるのだろうか。日本人であれば誰でもトランプのゲームを何種類かできることと思うが、これは子供のうちに数字とアルファベットはたいてい覚えてしまうのでトランプに対する敷居が低いからなのは間違いの無いところだろう。チェスが世界に広まったのはそれぞれの駒が形で区別され、どこの国のひとでも覚えやすいからというのは容易に想像できる。果たして、漢字文化圏以外の人達に将棋は広がっていくのだろうか。この点について、インターネット上のフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の英語版では、 …日本人以外の人で、駒の漢字を覚えるのが難しいので、将棋を覚えられない人は少なくない。そのため、もっと直感的にわかりやすい、西洋化(国際化)された駒が作られるようになった。しかし、指し始めるとすぐに日本語の駒を区別できるようになってしまうので、西洋化された駒はあまり広く使われるにはいたっていない。 のように書いている。実際、いったん将棋を覚えてしまえば、海外の人にとっても相手を一番簡単に見つける方法は今は将棋倶楽部24である。トップページの右上に[English]というリンクがありそれをクリックすると英語版のトップページがあらわれる。日本語ができない人はそこから道場に入場してくる。その場合でも盤面はわれわれが利用しているものと同じ漢字を使った駒の盤面なので、知らず知らずのうちにわれわれも海外の人と対局していることがある。24によって海外の人にとっても漢字の駒の使用が決定的になったと私は考えている。 インターネット上の対局だけでなく、リアルな大会も世界各国で行われている。多くの大会が外国のプレーヤーでも参加可能でスイス式を採用している。ヨーロッパやアメリカのプレーヤーは生誕百年になる物理学者のElo教授が開発したレーティングで自分の強さを把握しているので競技参加者の強さがあらかじめわかっている前提のスイス式が可能になっている。確かこのレーティングはアマ連も同じ方式だったと思う。 では、日本人が外国で行われる大会に初めて参加するときはどうするのだろうか。段位を自己申告するのだろうか。きまっていないことも多いのだろうが参加した日本人が24のレーティングをもっている場合は、それをもとに「24 Rating x 0.6 + 1113」という公式でレーティング評価するようだ。 最近「スポーツルールはなぜ不公平か」(生島淳著、新潮社)を読んだ。柔道とJUDO の違いなど、ある競技が国際化されていくときに生じる様々な論点が取り上げられていて面白かった。「日本人にとっての柔道とは、あくまで武道である。単に勝敗を競うのではなく、人格の育成の要素を含んだ、精神的な世界を包含する競技である」「ヨーロッパ人はJUDOをチャンピオンシップ・スポーツ、最も強い選手を決めるスポーツと捉える」「海外で柔道の試合をみていると、段位という概念が欠落しているのに気づく。オリンピックでは段位の紹介はされない。チャンピオンシップ・スポーツの大会において強さを示す基準にならない曖昧な基準は、省略される」などの卓見がある。将棋でも遅かれ早かれ、同様な問題が生じてくるのだろう。 リレーのバトンは将棋MLが盛んだったころに同MLを通じて知り合った樋口達志さんに渡します。レーティングについてひとことあるかな?
(次回は樋口達志さんにバトンタッチ)
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