リレーエッセーその105

次の世代へ

外山 茂



 最近長男(五才)が将棋を始めた。
 鬼斬先生こと、指導棋士の小田切秀人四段の幼児教室に月2回通っているというのだから、まったくもって生意気である。もっとも、まだやっと駒の動きが分かる程度。一応、相手玉を詰ませれば勝ち、ということは分かっているらしいが、駒の損得の概念はなく、相手の駒をたくさん取って貯めるのと、桂馬を使うのが楽しいようだ。一応言っておくが、プロを目指して英才教育、という訳ではない。教えたというよりは、自然に興味を持ち、自分から教えて欲しいと言い出したのである。



 自分はといえば、将棋を覚えたのは小学校2年生くらいだったか。家族は誰一人としてルールすら知らないから、一体どこで覚えたのだろうか。全く覚えがない。友人宅で、はさみ将棋や山崩し・まわり将棋等で遊んだ、かすかな記憶があるので、そこから本将棋に入って行ったのだろう。最初は、友人たちや、近所の親戚のおじさんと良く指した。しばらくして、近くの将棋道場 に、同級生の一人が行き始めた。外で遊ぶよりも、家で本を読んだり、いろんなゲームや数字遊びの方が好きだった私は、追いかけるようにその道場に通いだした。それが全ての始まりだった。



 私が生まれ育ったのは、伊勢神宮で有名な三重県伊勢市。その道場も、豊受大神を祭る外宮(げくう)の目の前にある。歴史ある街の故ではないだろうが、田舎にしては珍しく、複数のプロ棋士を輩出しており、古くは(故)山本樟郎八段、(故)板谷四郎九段、現役では植山悦行六段が、当地の出身である。他に、小林宏六段もすぐ隣町の出身だ。(関係ないが、植山六段の父上とはその道場で何度となく対局した間柄、小林六段の父上と私の父は高校の同級生。田舎とはいえ、世の中は狭いものである)



 アマチュア棋界としては、長年、伊勢支部長として地元を支えられた浦口敬壽さん(後に大山康晴賞を受賞)という方がおられ、私も大変お世話になった。3年ほど前に亡くなられたが、充分なお礼を言えず、お葬式にも行けなかったのが心残りである。それから、忘れてならないのは、同じ三重県に在住されていた(故)北村文男七段。中学・高校時代、何度も教えていただいたが、後に、早稲田大学将棋部の後輩となり、(故)加藤治郎名誉九段の盤寿のお祝いの会で再会するとは、その頃はまさか思わなかった。



 道場に通いだしたからといって、特別、急に強くなったというわけではなかった。駒落ち中心で、最初は六枚落ち。これがなかなか卒業できなかった。「将棋大観」徹底した定跡主義に、加えて終盤(最速の寄せ)重視というのが、ここの基本思想だ。六枚落ちは、9筋から攻め、8四金を角で食いちぎって飛車を成り込む。しかる後に、7筋辺りからと金を作って竜と協力して攻める、ということだが、攻めが細く、初心者には極めて勝ちにくい。しかし、強くなるためには一番の方法だったように思う。五枚落ち、四枚落ち……。階段を一歩一歩登るように、一つずつ、駒が増えて行く。こうやって、勝つ喜び、強くなる喜びを覚えていった。

 初段になったのは、中学校に入る頃だったか。と言っても、かなり段級が辛く、東京なら二段〜三段の感じだ。この頃には、逆に、年少の子供たちに教えるようになってきた。下手として苦労したため、駒落ち定跡は一通り全部知っているから、上手を持っての勝ち方と負け方(?)はなかなかだったと思う。この経験は、後に、早大将棋部や西日暮里道場で大いに生かされた。



 中・高時代には何度か、県の大会で上位に入った。忘れられない思い出は、中学2年時に県大会の準決勝(確か)でアマ名人になったばかりの菱田正泰さんに教えていただいたこと。相矢倉、相手は雀ざしに、先攻して3筋で金銀交換になった。2二玉・4二角型で3四に空間がある。8三金。飛車が逃げると7三の桂を取って3四に打てる。なんと菱田さん、平然と(?)3四に銀を埋める。おいしく9二金、と飛車の丸得でさすがに勝勢……かと思ったが、全然力が違って軽く逆転負け(そもそも局面もそれほどの大差ではなかったが)。当時、菱田さんと加藤光成さんは、とてつもなく高く、遠い存在だった。一度だけ間隙を縫って、赤旗名人戦の県代表になった。高校2年の時、阪神が前回優勝した年のことだった。

 ただ、高校選手権は、3年連続で県代表になった(当時高校竜王戦はまだなかった)。3年時の全国大会準決勝で渡辺健弥君に簡単な詰みを逃して負けたのも、今となっては懐かしい。その時、同じ準決勝で負けたのが、中村清志君。3年後に早大将棋部で出会い、学生団体日本一の美酒を分かち合うことになる。渡辺君とも、その後も何度となく対戦している間柄。まさに縁とは不思議なものだ。



 将棋を覚えて四半世紀。大学に入り東京に出てきてからも16年経った。この間、学生名人にもなり、上記中村君はじめ仲間に恵まれて学生団体日本一も経験させてもらった。社会人になったら、多少は将棋から遠ざかるかとも思っていたが、偶然、西日暮里道場という素晴らしい場に出会い(これもきっかけは中村君だった)、そこで鍛えてもらって、県代表にも何度かなり、全国タイトルも夢ではないかと思ったこともあった。(おっと、今もまだ諦めてはいませんよ)

 今は、個人の大会は一切出ておらず(育児休業中)、ネット将棋は観戦専門なので、職団戦と社会人リーグ戦だけが実戦の場である(社会人リーグ戦は対局以上に運営が大変だが)。どうも幸いなことに、棋力は思ったほどは落ちてはいないようなので、また落ち着いたら、大会に出ようかと思っている。もっともその時は、親子セットで、かもしれない。



 六枚落ちで勝てなくて、半ベソかきながらも、なぜか続けてきた将棋。様々な人に出会い、様々な経験をさせてもらい、ついには、嫁さんまで、将棋を通じて見つけてしまった。大げさに言えば、「人生で必要なことは全て将棋道場で学んだ」ような気がする。そして、何より、将棋を指すことは実に楽しい。前々回で我が敬愛する先輩加藤勝起さんが書かれているような「将棋を指してストレスを感じること」は、私には殆ど記憶がない。それが何より、幸いなことなのかもしれない。

 この将棋の、楽しさ、素晴らしさを、次の世代に伝えて行くこと。それが、これまでのお世話になった方々への、何よりの恩返しなのだろう。休みの日になると「パパ将棋しよう」と挑んでくる我が子を見るたび、その思いを強くしている。



 次は、まったく安直ではあるが、この人しか浮かばなかった。忙しい中引き受けてくれてありがとう。地方大会へ向かう新幹線の中ででも書いてください、樋田栄正さん。



(次回は樋田栄正さんにバトンタッチ)