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リレーエッセーその129 出会い 村田智穂 |
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関西将棋会館のホームページで一緒に日記を書いてるお気楽コンビの一人、しーちゃんこと岩根忍さんからバトンを受け取りました。 私事になりますが、少し昔を振り返って見ようと思います。 私は高校1年のときに育成会に入り、高校3年で女流棋士となりました。それからはや、3年が経とうとしています。 女流棋士の登竜門である育成会の例会は、東京でおこなわれていました。兵庫県に住んでる私は月に一度、土曜日に新幹線で東京の将棋連盟に行き、まず一泊。そして日曜日に戦って、その日の夕方に帰るというスケジュールです。もちろん交通費や宿泊費など出るわけがなく、すべて実費。そのため親からは「育成会を最短で抜ける1年分しか出さないよ」と脅されて(?)いました。結果、1年オーバーです(泣)。 保育園の時に兄の影響で覚えた将棋。初めはほんの遊びのつもりでしたが、兄と一緒に大会に出たり、道場に通っていたりで、だんだんのめり込んでいきました。小学生や中学生の時も、土日はほぼ道場。友達と外に遊びに行くのは、月に一度あるかないかだったと思います。「友達ともっといっぱい遊びたい!!」と言って、親と喧嘩になった時もありました。でも最後に行き着くのは、やはり「将棋」。もう生活の一部になっていたんでしょうね。 中学から高校、そして高校から大学の受験の時期に、友達から「もう自分のやりたい事が決まっててうらやましい」とよく言われました。そんなときは「私のとりえはそれだけだし……」と返したものです。もし兄が友達の家に遊びに行ったとき、偶然将棋盤を見なければ、私は将棋と知り合えるきっかけはなかったのです。4歳の時に「将棋」と運命の出会いをして、つくづく良かったなぁと、今思います。 育成会を卒業し初めて女流棋士の世界に足を踏み入れた頃は、戸惑うことばかりでした。一番最初にさせていただいた仕事は指導対局。大人の方3人と一度に将棋をして、終わった後は感想戦など……。そして、初めて記録係のついた対局、タイトル戦などの大盤解説の聞き手、イベントの出演、棋譜や時間の読み上げなどなど。失敗も沢山ありました。しかしすべての仕事において、やっていて楽しいと感じることがほとんどでした。 そして今、文章を書くのが苦手だった私が、関西将棋会館のホームページで、しーちゃんと一緒にお気楽日記を書かせていただいています。初めは次のネタは何にしよっかな〜と困っていました。しかしそのうちに、この日のことと、このこと、どっち書こう?などと、ネタ探しにも慣れてきました。今では本当に楽しんで書いています。 夏には私が「気」、しーちゃんが「楽」と書いたお気楽扇子や、二人のロゴ入りバックも発売していただきました。 秋には「学校へ行こう!」の企画もはじまり、またこれも楽しみです。 お暇な時は是非覗いて見て下さい。 これからもいろんな経験や出会いをして、少しづつでも成長していけたらと思います。 最後までお付き合いいただいて有難うございました。 次のバトンは、近代将棋「やっぱり将棋やね!」のコラムや観戦記でお馴染みの橋本真季さん。私が小学生の時に知り合いましたが、今でも一緒に買い物にいったり、遊びに行ったりしています。美人で頼りになる素敵な方です(*^^)/
(次回は橋本真季さんにバトンタッチ)
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