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リレーエッセーその135 陽の当たらないお笑い芸人の呟き 松本健太郎 |
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皆さん、初めまして。弱い方の「まつもとけんたろう」です(笑)。 おそらくほとんどの方々が、誰やこいつ的な見方をされているかと思います。このリレーエッセイに登場されている方々は、私から見ればサインをもらいたいような方ばかりで、私のようないろもんがそこに名を連ねていいものかどうかと、大変恐縮しております。 そんな私に書ける事があるとすれば、地方将棋事情(愛知編)やこれまでの自分の将 棋史を振り返る、くらいなものですので、それを順に書いていきたいと思います。駄 文ですがお付き合い下さい。 愛知と言えばやはり、日本将棋連盟東海本部=板谷将棋教室でしょう。連盟主催のイベントは、全てここに関わる方々を中心に運営されています。ただ残念な事に、関東や関西の連盟本部と比較すると組織的に小さく、その分競技人口も少ないという感は否めません。ではこの地方は将棋を指すのに良い環境ではないのか?と聞かれると、答えはもちろん「ノー」となります。 まず、東海本部には、アマ名人戦等の個人戦や支部対抗戦、職団戦の他に、「東海本部団体リーグ」という独自の団体戦があります。誰でも参加できる5人制の団体戦で、昇降級ありの3つのリーグに分かれて総当たりを行うものです。4ヶ月を一区切りにしており、最終日は全チームが一同に揃うので、まるでお祭りみたいです。参加チームは、職団戦と同様にしているチームや、「〜同好会」「〜大学」といった所が多いですが、中には怪しげなチーム名もあって面白いです。それだけ自由度の高い大会と言えます。 また、普及面でも関東や関西の連盟と同様に、子供スクールがあります。子供達同士の対局はもちろん、普及指導員の方々や中部の学生強豪による駒落ち指導もあり、伸びる子はすぐ強くなれます。その結果、初段になると、東海研修会へとステップアップしていきます。愛知県の若手強豪のほとんどが、この道を通っていると言って差し支えないでしょう。 そして、東海本部以外でも、アマレン主催のレーティング大会がかなり多いのがこの地方の特徴です。中日本名棋会や、あらたま将棋センターR、名古屋を出れば春日井、一宮、江南、さらに愛知を出れば桑名、四日市等々、いずれも月1ペースで行われており、出ようと思えばいくらでも大会に出る事ができるのです。 それら全てを総合すると、週末はほとんどどこかで大会が行われているような感じ になります。これで環境が悪いわけがなく、むしろ全国でも屈指のいい環境だと思い ます。 1.小学生時代 私が将棋を覚えたのは小学校3年生の時でした。当時は子供スクールもできておらず、実戦の機会はクラブ活動くらいのものでしたが、当時放送されていたNHK将棋講座「島朗のハイテク研究室」が私を強くしてくれました。おかげでクラブでは無敵となり、今はもう無くなってしまった「すくすく王将杯」に出させてもらった事もあります。 5年生の時、私に大きな転機が訪れます。この年は「将棋の日」が名古屋で開催されており、当然私も観覧に行きました。生で見るプロ棋士の方々に興奮を覚えましたが、それ以上に私に衝撃を与えたのは、プロ棋士と並んでゲスト出演していた中学生でした。その男の名は、東海中学2年生、井上智博さん。 次の一手名人戦の着手予想をしている井上さんの姿を見て、「うわ〜めっちゃかっこええやん、俺もこんな風になりたいわ〜」と思いました。当時、漠然と中学受験の勉強をしていた私が、その日から目の色を変えて勉強をやり出した事は言うまでもありません。6年生の1年間は、一切将棋と離れていた程です。 2.東海時代 晴れて東海中学に合格し、6年間(中高一貫)将棋部中心の生活を送りました。夏休みには夏期練習があり、春には楽しい合宿も行われます。色々な事がありましたが、今となってはどれもいい思い出です。ただ、大会の実績という面では、不遇な結果が続きました。部内の層があまりにも厚く、あと一歩で代表を逃すという事が何度あった事か。この時はさすがに辛かったです。 ラストチャンスとなった高校3年(受験勉強しろよ)の選手権。個人戦は惜しくもベスト4でしたが、その結果が認められて団体では東海高校Aチームで出る事になりました。メンバーは私と、後に名大のエースとなる長谷川潤君と、戸谷博君。無事に優勝する事ができ、初の全国大会の切符を手にします。実はこの前の年、東海高校は全国優勝を果たしており、それだけに恥ずかしい結果は残せないな、と気合いを入れて大会に臨みました。 最大のライバルと目されていたのが麻布高校で、市川敏之さん、鈴木琢光さん、高木啓さん、というなんとも豪華なメンバー。そして、ベスト8で直接対決が実現します。結果は残念ながらチームも私も敗れてしまいました。しかし、1度とはいえ全国大会を経験した事が、私には大きな自信となりました。大学は、将棋部のあるとこに行こう、私はこの時そう決めたのです。 3.名城大学時代(1) 多くの方がそうだと思いますが、一番将棋に熱中していたのが学生時代です。とにかく精力的に活動しました。名城には、東海時代の先輩でもある三輪敏春という人物がいたので、すんなり入部。そしてすぐに春季大会がやってきます。大会ではこれといって目立った活躍はできませんでしたが、なんといっても団体戦のピリピリした雰囲気が印象的で、この緊張感はクセになりそうです(笑)。 三輪先輩にとっては最後の大会となる秋季団体戦、先輩はこれに賭けていました。そうです。王座戦出場という夢に。中部学生棋界の団体戦は、言うまでもなく名大の天下です。それを自分達の手で覆したい、という思いが強かったのでしょう。が、結果は残念ながら惨敗でした。その時の先輩の悔しそうな表情は、今でも忘れられません。 私も三輪先輩も、高校時代は自分の高校が地区優勝して当たり前という感覚でした。その分だけ大学でのこういう結果がより屈辱的に感じたのです。 「名大を倒す」 翌年部長となる私は反骨心の塊となり、これを目標に邁進する事になります。 まず、1年の秋季団体戦が終わった直後、名古屋大学OBの堺和貴さん(現在はあらたま将棋センターの席主)が会長を務める、「名古屋研求会(求の字は敢えてこうしている)」に入れてもらいました。毎週水曜に板谷道場でリーグ戦やるのですが、ここには小野倫太郎さんを初めとする名大のレギュラーが何人か参加しており、相手を知るには絶好の機会でした。 さらに、前出の長谷川潤君に頼んで名大春合宿にも参加させてもらいました。この時お世話になった方々はもうOBになられていますが、とてもいい方ばかりで感激しました。以後は毎回のように参加させてもらっています。 ここまでやったおかげで相手の戦力把握はバッチリでした。次に考えたのは、レギュラー以外の若手や新人をいかに強くするかです。三輪先輩の卒業で少し層が薄くなっており、そこを補うにはそれしかありません。 そこで、東海OBの加藤亘先輩からアドバイスをもらう事にしました。先輩は当時京大将棋部に所属しており、また、かなりの定跡マニアでした。というわけで、私は先輩に「初心者はどの戦法から入ればいいのでしょう?」という難しい質問をぶつけたのです。その答えが四間飛車でした。 そこで、四間飛車を教えられるようにしよう、と思ったのですが、さあ困った(爆)。実は当時の私は序盤の知識はほとんどゼロに近く、中終盤で将棋を指していたようなものでした。使える戦法は右玉、右四間、ヒネリ飛車くらい。 オフシーズンの短期間で四間飛車をモノにできるか不安でした。本で覚えるのが苦手な私は、将棋倶楽部24で加藤先輩と何度も基本定跡をベースとした実戦で教えてもらったのですが……。 4.名城大学時代(2) 2年の春、前出の不安は的中しました。勉強してきた四間飛車で名城の先輩と対局しましたが、全く通じなかったのです。もちろん私の技量不足もあったのですが、これには凹みました。先輩方が私を悩ませた居飛車の急戦は、「4五歩早仕掛け」でした。これは東海OBの恒松鷹史さんが三輪先輩に伝授し、三輪先輩がそれを名城に定着させたものです。 なかなか振り飛車を良くする順が見つからず、悩んだ私は発想を変えて、もし相手が四間飛車なら、この戦法を使おう、と決めました。 そして迎えた団体戦、名大との全勝対決がやってきました。私の相手は牧野一重さん。前の団体戦でも当たっており、その時はボコボコにされました。力戦を得意とする牧野さんですが、なんとこの対局で使ってきた戦法が、四間飛車でした。まさにラッキーとしか言いようがなかったです。定跡通りに攻めて快勝する事ができました。 さらに当て馬作戦が成功してチームも4−3勝ち!! 中部では無敵と言われた名大 に土を付ける事に成功したのです。が、まだ次の試合が残っていました。 最終戦の相手は中部大学。私は先ほどの勝利で誰にも負ける気がしませんでした。相手は後に準学生名人となる伊藤貴敏君。四間飛車の使い手だったので、戦形は当然4五早仕掛け。そして望外の快勝でした。相手のエースを下したのでさすがに勝ったと思っていたのですが、チームはなんと2−5負け。名大の方々が大喜びした事は言うまでもありません。今までの人生で一番悔しい出来事でした。 ただ、団体戦で結果を残せた事で、定跡の勉強は苦にならなくなりました。秋の大会のためにもさらにレベルアップしなければならないと感じた私は、色々な人に将棋を教わりました。その中の1人に、前出の研求会に所属していた、当時中学生の源川諒君がいます。彼には特に四間対左銀急戦の深い知識を教えてもらいましたが、これは今でも実戦で大変役に立ってます。 また、母校となった東海将棋部にもよく顔を出しました。私が高3の時に中1だった部員が正に伸び盛りの時期で、こちらが教わる側になっていました。彼らは後のキリンビバレッジ団体戦優勝メンバーなのです。 さて、いよいよ秋季団体戦です。直前の個人戦では4位になっており、正に気力充実の時期でした。が、残念ながら今度は名大との直接対決で、私は勝ったものの、チームは敗れてしまいました。 そして、これが最後のチャンスだったと言って差し支えないでしょう。翌年の戦力大幅ダウンが目に見えていたからです。 5.名城大学時代(3) 引き続き部長職を担う事になった私は、新戦力が充実していた事もあって後輩の育成にテーマをしぼりました。四間飛車の勉強を始めたことが、ここでも良い面で活かされる事になります。心がけたのは、まず、練習ではなるべく試合に出やすい戦形を指す事、そして、攻めを強くさせるために自分が受け将棋になること、です。特に後者は自分にとってもかなりプラスになりました。それまで自分の棋風は攻めっ気溢れる荒い将棋だったのですが、相手の攻めを切らせる事もできるようになってきました。そして、いつの間にか棋風まで受け主体に変身。これが、元々右玉を使う自分にフィットしたのです。そのおかげで、かなり強い相手にも勝てるようになってきました。 団体戦の方は春秋ともA級維持が精一杯でしたが、個人としては春3位で学名出場、秋4位と自分でも驚くような好成績をあげる事ができました。これはまさに棋風改造の成功例ではないかと思います。 翌年春には初の団体戦全勝をマークしました。これは個人的にかなり嬉しかったです。チームも前年より断然いい戦いができ、名大を脅かせるチームに復活しました。そしてこれはオマケなんですが、キリンビバレッジ団体戦で6位入賞を果たしたのです。これらの原動力は、なんと言っても現有戦力のレベルアップでしょう。特にキリンのメンバーのうち2人は、入部当初はほぼ初心者でした。思えば2年前に、初心者を強くするために考えていた事がいい結果として出てくれてよかった。ただ、私ができるのはレールを敷く事だけで、本人が進まなければ強くはなれません。だからその2人には本当に感謝です。 6.名城大学時代+α 大学将棋部生活で最も楽しかったのが、他大学との交流でした。学生名人戦、西日本大会、名大合宿、立命京大市大の合同合宿、キリンビバレッジ大会等、本当に色々な方にお世話になりました。この場を借りて、厚く御礼申し上げます。 とにかく外に出て、普段と違う環境に足を踏み入れる。これが学生将棋で大切な事だと思います。特に立命・京大・市大合宿では、あの武田俊平さんや、加藤幸男さんに将棋を教えてもらう機会に恵まれました。 ある方から「松本君、大学という所は、人脈を広げに行く所なんだよ」と教わりました。私がこの教えを忠実に守っている事は、特に関西の方ならおわかりいただけるでしょう。 今これをご覧になっている人で中部地区の大学に進学を考えている方は、ぜひ参考にしていただければと思います。後はお酒か麻雀のどっちかは得意分野になっておくと、より良いでしょう(笑)。 さて、バトンですが、中部の人で麻雀と言えば私、お酒と言えば、もちろんこの方! 小野倫太郎さんにバトンを渡したいと思います。圧敗なんですけどっ!
(次回は小野倫太郎さんにバトンタッチ)
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