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リレーエッセーその137 四日市の噴水と大手門 小田健太郎 |
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はじめまして。小田健太郎です。 前回のエッセーの写真を見て、1枚目は「四日市の噴水」とすぐにわかった。問題は2枚目で、倫太郎のことだから「大手門」を持ってくるだろうと見るまでもなく思った。正解らしいのだが「大手門」のほうは跡地だとか。毎年、王座戦の打ち上げが行われ、幾多のドラマが繰り広げられた懐かしい場所です。 私の師匠、赤羽玲子さまの姿が目に浮かびます(爆)。 1.紙と鉛筆と消しゴム 将棋に興味を持つきっかけとして、小・中・高・大学院と同級生という妙な縁の、仲間内で名人と呼ばれていた中原佳夫君の存在が大きかった。ちなみに名人は自称初段。私はその名人から3級の認定を受けていました(笑)。 私が将棋をしていたのは、サッカーをするには寒すぎる冬の昼休みで、紙に定規で線を引き、その盤で指していました。 消しゴムで消して、鉛筆で書くので、 「金だった」 「いや、銀にしか読めない」 というやり取りもよくありました。 昼休み以外では、私立高校の入試をサボって(正確には願書を出していないが…)、自習教室で指していたりもしました。 2.将棋部に入部する その名人を含む将棋好きの仲間と指していたのは中学の時であり、高校に進学してからは、名人は受験勉強、私は野球に熱中していた。そのころの将棋との係わりは、新聞の将棋欄を読み、部活動前にNHK杯を見るというものでした。 そして大学に進学することになるのですが、名人は関西の某大学、私は立命館大学に決まりました。入るサークルに悩むわけですが、名人はおそらく将棋部に入るだろう。自分も将棋部に入ればどこかの大会で当たるかもしれないと。 私は入部することになるのですが、名人の名前は学生将棋にはありません。あとから聞くに、将棋部の門を叩いたものの麻雀ばかりやってたので、数日で辞めたらしいとか。よっぽどひどく剥がされたと思い結果を聞いてみると、ちゃっかり勝ってたらしい。 そういえば別名は(役満)仙人だったか…。 3.自分なりに強くなる 1・2回生のときは、とにかく強くなろうとしていた。 しかし、一番上を見て強くなろうとはしなかった。 同じ学年に鰐淵啓史君、坂井仁美さんがおり、初めて会ったときに、 「どれだけのことをこれまでやってきて、そしてこれからやっていくのか」 感づいてしまい、 「たとえ最善を尽くせたとしても、追い越せないんだな」 と分かってしまったから。 上は見なかった。 でも、たくさん棋譜を並べ対局し、自分なりに強くなろうとしていた。 4.部内順位戦 渇いたスポンジのように吸収していったが、部内で15番目以下だった。今と変わらず層が厚いチームなのだが、レギュラーでない中堅層は2軍戦や部内順位戦にあまり参加しなかったので、出席率の高い私は、2軍戦で星勘定に入れられ奮闘し、部内順位戦はB級の常連だった。 A級で指したくて一生懸命指したが、結局1度も上がれなかった。昇級したはずだったが定員改正によりB級1位になったり、出だし5連勝して、残りの佐伯紘一、熊野剛にボコボコにされたこともあった。 「どうやって勝てっていうねん!!」 と内心思ってしまった。 5.たくさんお酒を飲む 3回生になり、掛け持っていたサークルの運営に時間を割くようになり、また、本田篤志が引っ越して来て、根来正浩が入学し、同級生の清水亮を加え、悪者(笑)がそろったところで、たくさんお酒を飲むようになった。 みんなお酒が強いので、多いときは週5くらいで飲みに飲んだ。 「人間なのでお酒を飲み過ぎると酔います」 西日本大会では、アピオ前の公園で野宿したり、王座戦では、大手門で飲み、クリスマスに噴水へ…。 噴水は入りたかったんじゃないんです。冨樫尚寛さんに押されて足が浸かったから、しょうがないので富樫さんを抱きかかえて沈めただけです。 この頃から、倫太郎にはよくお世話になりました。 6.サポーターとして 今でこそ、サポーターを選手の数よりも多く、王座戦に連れてきているが、昔は少数だった。清水、楢原和人、大西康仁と私くらい。サポートすることは、戦型チェックと棋譜取り。戦型チェックは、1人が会場を回り行っていた。棋譜取りの対象は、優勝争いの本命関東の2大学で、(京都大は手の内を知り尽くしているので…)大将戦はもともと記録係が付いているので除き、残りを分担していた。私は最大4面取ったことがある。でも、すべての指し手じゃないですけどね。 上部が盤面、下部が余白の紙を用意し、とりあえず対局が始まってからは、指し手が止まるまで待つ。止まったらその局面を上部に移し、以下の指し手を下部に書く。4面同時なので、数手進んでいることがあるが、逆算して指し手を書く。 終局時は、さすがにぐったりします。 7.王座戦優勝前夜 私の在学中は、2・4・2・3位で優勝することはできなかった。 卒業した次の年、初優勝するのだが嬉しかった。優勝した瞬間は見れなかったが、その夜の四日市の打ち上げに参加した。喜び切れない雰囲気が、そこに辿りつく過程を知っている者として、痛々しく、また立命館らしいと思った。 去年連覇し、今年3連覇した。 正直、連覇はまだ難しいと思っていた。私と同じ時期在籍した部員たちは、みな卒業した。新しい歴史が始まったのだと。 先日、王座戦前にOBコンパなるものがあり、たまたま出張中だったので参加した。初めて会う後輩、禰保拓也君に 「金堂(晃久)さんから、小田さんの名前聞いたことあります」 と言われてしまった。 「あまり悪いことはしてはいけない」 と今更ながら反省した。 次のバトンは、飲み会の次の日、片方の眼鏡レンズと片方の靴下がなく困っていた、 また、良妻を拾って幸せいっぱいの中村圭吾さんにお願いしたいと思います。
(次回は中村圭吾さんにバトンタッチ)
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