リレーエッセーその140

熱燗とコップ酒と・・・

飯島 章



寒風が吹き始めると、
今年も、学生王座戦の季節がやってきた、と思うことがある。

ある宴席で、「学生王座戦と言えば、大阪で・・・」
と、言いかけたら、後輩の表情が曇った。
そして、「学生王座戦は四日市でやるんですよ」と言いながら、
“このオジさん、本当に出場したことがあるの?”と目が怪しんでいる。
改めて、そう見つめられると、大将戦1勝8敗の惨澹たる成績が脳裏に浮かんで、返答に窮して、口ごもってしまう。

その時、「昔は、大阪でやっていましたよ」
と、私の前に座った加藤さんが、さりげなく救いの声をかけてくれる。
そして、いつものように、熱燗徳利の首を持って、私のぐい呑みに酒を注ぎ始める。



加藤さんは、いつでも熱燗を呑んでいる。
寒い季節も、真夏の暑い日でも、呑み屋に入ると熱燗を頼んでいる。
しかも、「思いっきり熱くしてください」と言い添えて・・・。

加藤さんとは、特別区職員研修会、将棋大会の運営、将棋旅行やらで、年がら年中顔を合わせている。
おそらく、顔を合わせている時間は、家族よりも長いと思う。
同じ特別区の職場といっても、西のはずれと東のはずれとに分かれていて、そんなに合えるような環境ではないはずなのに、不思議な縁が続いている。

いつのまにか、私も、“加藤流”の呑み方に馴染んでいて、注がれた酒を、クイっと呑んでから、同じように徳利の首を持って「熱い!」と言いながら、返杯する。



乾杯が終って、しばし後に、
「今日は指し足りなかったから、一局指しましょう!」と言って、おもむろに、かばんの中から将棋盤駒を取り出し始める。

加藤さんの将棋好きは、仲間うちでは有名だ。
それなのに、最近は運営側に回ることが多く、あまり将棋を指せないようだ。
そのためか、加藤さんは、いつでも盤駒を持ち歩いている。
「マグネット盤の方が便利ですよ」という私の主張を無視して、相変わらず、重い木の盤と対局時計を、ありとあらゆる場所に持ち歩いている。

夏の終わりの海の家、冬のゲレンデの食堂、そして、参拝客で混雑する1月の鶴岡八幡宮の社殿裏でも、重い盤駒を並べて将棋を指している。

もちろん、旅行の行き帰りの車中でも当然のように指している。



そんな時、いつも手に持っているのは、コップ酒である。
足元に一升瓶、窓際の小さなテーブルには将棋盤、そして、日本酒を注いだ紙コップを片手に持って、呑みながら指している。
車窓の風景は、海・山と変わっても、見つめているのは盤上だけである。
しかし、さすがにこんなときは “冷や酒”で我慢している。

こんな風に書くと、加藤さんは、かなりの酒豪に見えるのだが、実は弱いのだ。
もちろん、私よりは、はるかに強いのだが、じきに顔を少し赤く染めて眠ってしまう。
しかし、回復は早い、やがて目覚めて再び将棋に没入する姿を見ることになる。

ある宿の夜、顔見知りの板さんが帰った後に、食堂のテーブルに一升瓶を置いて、お互い真っ赤な顔で将棋を指していたら、一手指した方が交互に眠ってしまい、まだ勝負がついていないのに窓の外が白みはじめていた。
まもなく、食堂の窓から、ゲレンデの明かりが灯り始めるのを見て、勝負は指し分けにして、部屋に引き上げた。



ひとしきり、ほろ酔い対局が終って、
「今日は、帰しませんよ!」とかなり酔い始めた私が叫ぶ。
加藤さんは、笑顔で杯を傾ける。

今日の大会運営の反省と加藤さんの夢を肴にして、今夜も気持ちよく酔えそうだ。

加藤さんの夢のひとつに、職団戦での優勝がある。
しかも、「かつての同胞の“東京都職員文化会”チームを決勝で破って優勝する」ことを願っている。

“東京都職員文化会”チームは、その昔、4回も優勝している。
しかし、“東京都職員文化会”から枝分かれした“特別区職員文化会” チームは、平成元年のA級3位(S級がなかった時代)が最高の成績で、まだ頂点にたったことはない。

「そのうちいつかは、なれますよ」と、回らなくなった舌でつぶやきながら、再び杯を手に取って、私も呑み続ける・・・



フッと気がつくと、蒲団に転がっていた。
いままで酒を酌み交わしていたはずの加藤さんの姿はない。

あたりを見まわすと、自宅の寝室にひとりで眠っていた。
まだ夜明け前で、障子の向こうは真っ暗闇だった。



加藤さんが突然の事故で亡くなったのは、6年前の11月、天童で行なわれた将棋連盟の支部長会議の帰り道での出来事だった。

むかし気質の人で、将棋に対して、熱い想いを持ったひとだった。

昔から、底辺で将棋界を支えていたのは、こんな人達だったのかもしれない。



“夢だった・・・”と自分に言い聞かせようとする。

しかし、どちらが本当で、どちらが夢なのだろう。
加藤さんと酒を酌み交わしていた自分が夢の中なのか、
それとも、今、こうして蒲団に転がっている自分が、酒宴の途中で見ている夢の中なのか?

“しづかなる暁ごとに見渡せば まだ深き夜の夢ぞかなしき”

目が冴えて眠れない蒲団の中で、昔の和歌を思い出していた。
今しがたまで目の前にいた加藤さんの姿と、加藤さんの夢を未だに実現させられない、不甲斐ない自分の姿を想いながら・・・



次は、遠い昔、“大阪冬の陣”で共に討ち死にした、戦友の坪井広基さんにお願いします。

※加藤さん:日本将棋連盟特別区職員文化会支部 前支部長 加藤 実



(次回は坪井広基さんにバトンタッチ)