リレーエッセーその141

坪井広基



 はじめに

 はじめまして。特別区将棋部の飯島章さん(大学の将棋部の1年先輩)からバトンを受けた坪井広基です。

 将棋関係について簡単に自己紹介をすると、新潟大学将棋部OB(初代部長)で、現在は新潟県庁将棋部の会員です。個人的な実績はほとんどなく、二十数年前の学生時代に北信越学生名人戦準優勝、社会人になってからは十数年前の朝日アマ信越大会準優勝が最高といったところです。

 前回の飯島さんがエッセーの最後に「遠い昔、“大阪冬の陣”で共に討ち死にした戦友の坪井広基さん」と書いたとおり、遠い昔の学生王座戦では、昭和55年は10位(最下位)、昭和58年は9位と惨敗でしたが、私としては「討ち死に」という意識はなく、「参加することに意義がある」という思いで指していたような気がします。そんな気持ちだから勝てなかったんだ、としかられそうですが……。

 今までにエッセーを書かれた著名な方々に並ぶのは少し恥ずかしい感じがしますが、せっかくの機会をいただきましたので、「新潟県中越大震災」と「新潟県庁将棋部」について書かせてもらいます。



1.新潟県中越大震災

 平成16年10月22日(金)の夕方、2日後に任期満了で勇退する新潟県知事が県庁を後にするのを拍手で見送っていると、誰かがこんな不謹慎な言葉をつぶやきました。

 「知事の最後の退庁と言っても、明日かあさってに何かがあれば、登庁するんでしょうね」

 ああ、その「何か」がまさか現実になってしまうとは……。

 10月23日(土)午後5時56分、小学3年生の息子の習いごとが終わり、新潟市内の自宅で一息付いていると、突然、強い揺れが襲ってきました。

 揺れていた時間は数秒間だと思いますが、今までにこのような経験はなく、家具が倒れそうでとても長く感じました。新潟市の私のところは全く被害がありませんでしたが、テレビのニュース速報を見ると、震源地は新潟県中越地方で最大震度は6!(最大震度が7に訂正されたのは、数日後でした)

 瞬時に「ただごとではない」と思い、長岡の実家に電話をすると、長岡は歩けないほどの激しい揺れで、家具が大きな音をたてて倒れ、ガラスが割れたり、壁にひびが入ったとのこと。それでも両親に怪我はなく、家の倒壊の心配もない様子でほっとしました。地震が深夜だったら、たんすの下敷きになっていた可能性もあったわけで、寝ている時間帯でなかったのが幸いでした。

 私は県の財産管理の総括を担当しているため、すぐに新潟県庁に直行し、午後6時10分から翌朝まで、中越地方の県の地域機関に連絡を取り、徹夜で庁舎等の被害状況の情報収集と取りまとめをしていました。

 その間、テレビには、魚沼地方の家々が倒壊し、道路が破損し、山が崩れた悲惨な姿が映し出され、また、死亡者や負傷者、避難する人たちの情報が刻一刻と伝えられ、何とも言いようのない悲しみが湧いてきました。

 ああ、あの自然豊かな地域がこんなになってしまうなんて……。

 それから1か月ほどの間、私は、月曜〜土曜は夜まで県庁で地震対応のデスクワークをして、日曜は長岡の実家で後片付けをするという生活が続きました。また、余震があると深夜でも出勤しないといけないため、個人的には、年末まで禁酒の状態でした。

 それでも、大きな被害を受けて懸命に生きている方や現地で復興業務に直接従事している人たちの苦労に比べれば、取るに足りないことでしょう。

 新潟県中越大震災は、死者40人、負傷者4千5百人、最大避難者数10万人、家屋被害10万棟、被害総額3兆円で、地域社会に深刻な打撃をもたらしました。

 報道されているとおり、被災地ではまだ多くの人が仮設住宅に住み(山古志村は今も全村避難)、生活再建の目処が立たずに困っています。地震の余震は収まってきましたが、被災地は豪雪の中。本格的な復興は春になってからです。

 これまでに全国から温かいご支援をいただき、ありがとうございました。
引き続き義援金などによるご支援をお願いするとともに、風評被害を受けている新潟の観光地にぜひ足を運んでくださるようお願いします。

【注】「新潟県中越大震災」については、気象庁が「新潟県中越地震」と命名し、東京のマスコミもそう呼んでいますが、新潟県では被害の深刻さを考慮し、「大震災」という呼称を使用しています。気象庁が命名した兵庫県南部地震が阪神淡路大震災と呼ばれているように。



2.新潟県庁将棋部

 将棋パイナップルのエッセーとしては、ここからが本題でしょうか。どこにでもあるような地方の将棋部ですが、私たちの新潟県庁将棋部を紹介します。

 昭和60年に創設し、現在の会員は約50人。ただし、職場が県内各地に分かれていることもあって、よく参加しているのは15〜20人くらいで、主な活動は次の4つです。

(1)職団戦

 新潟県庁将棋部の一番の楽しみは年2回の職団戦。職団戦には全国各地から多くのチームが集まっていますが、新潟県庁は遠征チームの先駆け的な存在だと自負しています。

 一時期は3チームで参加した頃もありましたが、今はなかなか人数が集まらず、1チームか2チームの参加がやっと、というところです。

 「新潟からどうやって来るの?」とよく聞かれますが、新潟から東京までは新幹線で約2時間なので日帰りの人もいますし、前日に上京して英気を養っている人(飲んでいるだけ?)もいます。

 新潟県庁(1)の職団戦の歴史を紐解くと、初参加の昭和61年秋にF級優勝、62年春にE級ベスト8、62年秋にD級3位、63年春にC級優勝、平成2年秋にB級3位で、その後、平成3年春から13年秋まで22回連続A級に在籍しましたが、14年春から16年秋まではBBABAAで、B級ではそれなりに勝てるものの、A級では厳しい、といった状態です。

 しかし、連続37回参加し、A級は通算25回という成績は、地方のチームとしては上出来ではないでしょうか。

 今までに対戦して最も強かったと思ったチームは、ジュポン化粧品。当然に0−5負けで、全国屈指の強豪の皆さんの強さを身をもって感じました。

 そして、クラブ内で語り草になっているのが、B級に落ちていた平成15年秋の職団戦。この日はアマ名人戦決勝がテレビ放映された日でしたが、新潟県庁チームの大将がそのアマ名人に大番狂わせで勝って、チームも3−2勝ちでA級に復帰できたことが強く印象に残っています。

 今の新潟県庁チームは、A級64チームの中で実力は下の方ですが、熱い思いはサッカーのアルビレックス新潟と同じです。新潟で熱烈な人気を誇るアルビレックス新潟は、平成15年にJ2で優勝し、J1に昇格したものの、平成16年はJ1で年間10位に低迷しました。それでもアルビサポーター(私もその1人です)は、J2の上位で勝っているよりも、J1で負けてばかりいてもJ1に居続けることを願っています。

 私たちの職団戦も同じ。S級は無理ですが、A級に居続けることが目標で、これからも全力で参加します。

(2)指導会

 20年前から毎年1〜2回、プロ棋士を招いて、第1部は最新定跡や実戦譜の大盤解説、第2部は多面指し、そして終了後は新潟のお酒で懇親会、という内容で、指導会を行っています。

 最近では、平成15年は1月に近藤正和五段、9月に中倉彰子女流初段、平成16年は1月に近藤正和五段、7月に大平武洋四段に指導をお願いしました。

 過去には、屋敷伸之九段、中座真五段、中井広恵女流王将など、いろいろな先生から新潟に来てもらったことがありますが、やはり新潟県出身という縁で近藤五段から教えてもらうことが多いです。

 ちなみに、近藤五段には「駒落ち定跡を勉強して1年に1〜2回指すよりは、駒落ちでも日ごろ指し慣れている平手の戦法を使う方がおもしろいのでは」という趣旨の助言をされ、「まさにそのとおりかな」と思っています。特に飛車落ちの右四間飛車定跡では、にわか勉強で上手のいろいろな変化を覚えるのは難しいですから。

 それにしても、いつも思うのはプロ棋士の強さ。駒落ちの多面指しで、ほとんどノータイムで指されていても、なかなか緩めてもらえません。

 毎年1月に行っていた指導会は、平成17年は新潟県中越大震災の影響で中止。残念。

(3)対抗戦

 新潟県庁将棋部の主催で、毎年1回、地元の新潟市役所、長岡市役所、三条市役所、栃尾市役所、新潟大学の将棋部、それに特別区職員文化会を招いて5人対抗戦を行っています。

 特に、前回のエッセーの飯島章さんの縁で強豪の特別区から来てもらえるのは、とてもありがたいことです。

 真剣に将棋を指した後の懇親会では、チームの垣根を越えてリレー将棋をするのが恒例になっていて、これがまた楽しいひと時です。

 平成16年は、特別区に加えて東京都職員文化会からも初めて参加してもらう予定で、11月6日開催の準備をしていましたが、新潟県中越大震災の影響で将棋ができる状態ではなくなり、無念の中止。その直前に将棋連盟から購入した賞品は、1年後にお預けになりました。

(4)会報「POCA」

 A4版で20ページ程度の会報「POCA」を年2回作り、平成16年までに43号になりました。ちなみに、「POCA」という名前は、地元の新潟大学将棋部の会報「手拍子」に対抗して付けた名前だったと思います。

 内容は職団戦、指導会、対抗戦の自戦記が中心で、勝てば自戦記で自慢できて気持ちよいものの、職団戦で敗因になると、反省文のような内容になってしまい、なかなかつらいものです。

 それでも、大会の記録と思い出を残しておきたいという思いで20年間継続しています。

 なお、最新号の巻頭詰将棋(坪井作)は、次の2題です。仲間内の会報用の詰将棋で、収束がきれいではありませんが……。



 新潟県庁将棋部の主な活動は以上ですが、悩みの種は、年々高齢化していることです 20年前に将棋部が発足したときは、平均年齢30歳くらいだったと思いますが、今では平均年齢が40歳以上になったと思います。

 このままでもう10年経てば、クラブが成り立たなくなる恐れがあるのが現実です。

 新潟県出身の大学の将棋部の皆さん(別に新潟県出身でなくてもかまいませんが……)、就職を希望する人はぜひどうぞ。



おわりに

 平成16年12月28日(火)、第17期竜王戦第7局2日目の夕方。

 私は、新潟県南魚沼市の現地の大盤解説場で、渡辺新竜王誕生の歴史的瞬間をかたずを飲んで見つめていました。(平日でしたが、震災対応で休日に出勤した代休で行くことができました)。

 一手指した方がよく見える熱戦が続いていましたが、88手目の△1七馬で素人目にも渡辺六段の勝ち筋になったことがわかりました。

 それから終局までの重々しさと緊張感。20歳の新竜王! 見に行った甲斐がありました。

 新潟県中越大震災の被災地(ただし、現地の旧六日町は大きな被害はありません)に元気と感動を与える名局だったと思います。

 そして、平成17年元旦。新潟県中越大震災の復興を祈念して、新しい年の訪れとともに、新潟県庁の窓に「新」「春」「元」「気」の光文字が浮かびました。

 キャッチフレーズは「元気だしていこー! 新潟」

 そう、新潟は地震に負けずに元気にがんばっています。



 次は、新潟県の将棋ナンバー1で、新潟県アマ名人戦9連覇中の早川俊さんにお願いします。



(次回は早川俊さんにバトンタッチ)