|
リレーエッセーその157 ウクライナの将棋〜国際化の視点から 宇都宮靖彦 |
|
今年の5月「将棋を世界に広める会」一行は、特別参加の山田史生さんも加えて総勢9名でウクライナへ将棋の旅をいたしました。目的地リフネ(ロシア語名ロヴノ)まで、ウクライナの首都キエフより自動車で5時間ほどの道程を日本からはるばる運んできた大盤や普及用の盤、駒を積み込んで、ウクライナの穀倉地帯を走りました。ウクライナは人口4千8百万人、土地面積はフランスと同じぐらいで、山地も殆どなく気候にも比較的恵まれています。もともとウクライナは、旧ソ連邦の中で農業や鉄鋼業で有力な地歩をしめていましたが、ソ連邦崩壊後一挙にに市場経済に投げ出されて、困難な日々を送りました。ただ最近は世界的な資源景気に恵まれて、経済も大幅に好転しているとのことです。 さてリフネでは、少年宮で5月28、29日に将棋大会が開かれ、ロシア、ベラルーシ、ウクライナから参加した腕に覚えのある人たちに我々も含めて、参加者総勢105名に達し、そのほかに指導のみを受けに来た近隣の児童や親御さんを加えると150人近い人たちが一堂に集まり、私が東京で想像したよりもはるかに盛大な大会となりました。 我々は大会参加組と指導組と二手に分かれて対応することとなり、私は真田尚裕理事長、寺尾学さんなどとともに、大会組に回りました。 大会ではベラルーシのコルチッツキーさんとあたりましたが、当方の四間飛車にたいし、なんと先方は加藤式棒銀戦法を用意、▲1五歩と仕掛けてきました。当方も敵の術中にはまらないように腐心、幸い敵失もあり勝つことが出来ました。またウクライナの最強者コルミエッツさんとは、相振り飛車で対戦、粘り強い棋風でしたが当方の3筋の攻めがきまり快勝。 ただ2人ともなかなか力が強く、日頃もう少し強い相手に恵まれたら、棋力はさらにアップしていたろうと思われました(その後、コルミエッツさんはヨーロッパ選手権で優勝、アマチュア竜王戦に参加の見込みとのことです)。 ロシアの若手クーリンさんは終盤に長考のすえ、絶妙の勝負手を発見して、一手違いに持ち込んできて老骨をあわてさせました。あとは日本人同士の対戦でなんとか面目を保つことが出来てやれやれでした。 指導席をみると、希望者が多いので全員多面指しで対局、特別参加の山田史生さんまで動員されて大忙しのありさま、我々も大会の合間は児童にせがまれて何局か指しました。 印象的だったのは、参加した児童の数の多さと日本から持ち込まれたと思われる駒のほかに現地で製作された平たい金属製の駒。いずれも欧米ではあまり見かけない風景だと思います。 2日目最終の表彰式では、日本語でタイプアウトした賞状と詰め将棋などの小冊子が入賞者に手渡されみんな大喜びでした。また、小生のような老骨に金髪の少年少女がサインをせがんできたので、羽生四冠にでもなったつもりで30枚ぐらい書きました(もっともこれは私だけではなくほかの日本からのメンバーも同じでしたが)。とにかく関係者の熱意がつたわってきて嬉しく、折角ヨーロッパの片隅でここまで育ってきている将棋の芽を大切にしたいものと思いました。 またこのウクライナの大会には、ロシアやベラルーシからそれぞれ6〜7名の参加者があり、旧ソ連人同士のほのぼのとした親近感が感じられました。 「将棋を世界に広める会」は、今まで北京や上海のように現地に根を下ろし子供達への指導が本格化し、組織だって行われているところに今後の普及の手ごたえを感じています。とくに旧社会主義国には少年宮という制度があり、そこに現地の熱心な指導者が複数いて将棋教室があるようなところが最も良いように思います。 リフネは人口30万人程度の小さな町ですが、少年宮の将棋教室で学ぶ生徒の数は、まもなく100人規模になるだろうと言っていました。 次に言葉の問題ですが、私は片言の英語ぐらいで、ロシア語は全然だめですが、それでも対局には支障はなかったし、むしろ現地の子供達が我々が持参した3手詰め、5手詰めの詰め将棋の本を喜んでくれたものです。 本格的な普及を考える場合漢字圏とならんで、ウクライナを中心とした旧ソ連圏の国々も有望なように思います。 ウクライナとは1999年キエフの少年宮の先生や生徒と当会の鈴木副理事長が接触をはじめてから、数次にわたり地道な交流が続いていますし、2000年5月には、故原田先生を団長にロシア(サンクトペテルブルグ)へ親善交流の旅を実施しました。 相撲の世界を例にとれば、今モンゴルの力士のほかに旧ソ連圏の力士が大勢進出してきています。この人たちは日本文化を蔑視もしなければ、反感ももっていません。 ウクライナには、相撲の大鵬親方のお父さんが生まれた町があり、そこでは、相撲を中心に日本文化が幅広く浸透しているそうです。 将棋の世界への普及を考える場合、限られた一部のマニアへの普及だけではなく、ある程度まとまった地域社会への普及が必要と思います。日本もこれからは、多文化共生の時代になりますが、ひとつの伝統文化が生き残って行くためには、国際化は避けて通れない道だと思います。容易ではありませんが、生け花、茶道、相撲でさえもやっていることで、不可能なことではないと思います。食品の世界では、戦後醤油はソースにとってかわられると言われた時期がありました。でもキッコーマンは欧米人の間にも嗜好をひろげて、輸出だけでなく、アメリカ、ヨーロッパ、などではすでに現地生産も開始しています。もしキッコーマンが海外に居住する日系人中心のビジネスに終始していたら、やがて先細りになったことでしょう。将棋の場合、明治時代に日本が欧風化政策をおしすすめた頃、十二世名人小野五平が時の有力者森有礼から依頼されて西洋将棋(チェスのこと)指南の看板を掲げたことがあったそうですが、西洋音楽や絵画と異なり、チェスがその後日本でひろまることはありませんでした。逆に現地に愛好者の多いチェスとの比較ですが、将棋では相手の駒を捕獲した場合、自分の持ち駒として使用できることで複雑さをまし、現時点では、コンピューターは将棋の棋士には勝てませんが、チェスのチャンピオンには勝ちます。 チェスは将棋にくらべて、ドロー(無勝負)の発生率が非常に高く、また先手の勝率も高いという数字があります。終盤における逆転の可能性は将棋のほうがはるかに多く、興味深いとの意見もあります。 ゲームとしての面白さ、奥行き、将来性を考えるとき、今後普及の余地も大きいのではないでしょうか。 海外普及の場合、あまりチェスをけなして反発をかうのも得策ではなく、留意が肝要ですが、徐々に浸透してゆく可能性はあるのではないでしょうか。
(次回は伊藤雅明さんにバトンタッチ)
|