リレーエッセーその161

米子市児童文化センター

門脇伸一



 女流プロが我が町へ

 平成17年秋、曇天の午後2時。会場の壁いっぱいに貼られたポスターは、「岩根忍の将棋って楽しい」の特大文字。「私は小学校から将棋を始めて、一年間10級のままでした。強くなったのは、詰将棋を教えてもらい、毎日解くことに夢中になってからです……」。笑顔やさしい岩根忍女流初段のスピーチ。静かに聞き入る約三十名の子供たち、見守る保護者、鳥取県西部支部のスタッフ……。「将棋世界」の企画取材が、ここ鳥取県米子市で始まった瞬間だった。



 会場は児童文化センター

 思えば、将棋世界の田名後健吾さんから鳥取県西部支部に取材の申し入れがあったのは、2ケ月前の夏の日。「岩根忍の将棋って楽しい」の企画で、内容は小中学生との指導対局と周辺の写真取材。

 日本で一番小さい県、その西端の米子市の日本将棋連盟鳥取県西部支部。西部支部では、小中学生を対象としたこども教室、中級以上を対象とした斉藤教室、公民館で地域対象の将棋教室、そして米子市児童文化センターの将棋クラブを開催している。

 会場に選んだのは米子市児童文化センターで、3年目に入った「将棋クラブ」の後期2回目と取材日が重なることからだった。この将棋クラブは前期後期に開催しており、センターから市内の学校を通して小学生全員に配布される行事案内のメニューに入っており、毎回30名強の参加がある。

同センターは、米子市制50周年事業として、楽しい遊びや興味ある文化活動の場を提供し、健全な児童生徒の育成を図るため、昭和58年開館した。湖近くの湊山公園の広大な敷地内にあり、普段は市内の小中学生で賑わっている。



 指導対局始まる

 岩根プロはスピーチが終わると、歓迎の特大のポスターを背に指導対局(二面指し)に入る。飛香落で挑戦する中学生K君(初段)は、西部支部道場に通い始めて4年、生え抜きの逸材である。大阪や鳥取市の将棋大会に参加するなど、ご両親の理解もあって力をつけている。研究熱心で四段クラスと五分に渡り合うところまで来ているが、大会では大切な所で苦杯を喫し、じっと悔しさを堪えている姿を見ているだけに、必ず勝ってほしい、勝たなければならない対局。今日は相当に気合が入っており、頭の中は「完勝」の二文字しかない様子である。

 もう一人は四枚落の小学生M君(5級)は、市内住吉公民館の将棋教室で強くなった。普段は自作の詰将棋を披露したりする明るい子。思い切りのよい将棋であるが、中終盤になるとそれが裏目に出てやや淡白になる。この2ケ月、上手と何十番駒落を指したか分からない。優勢になってから、「読む」ことに集中できれば勝機はあると話してきた。思いがけず、序盤はかなりの優勢となったが……。
 会場の大きなガラス戸に目をやると、センター外の遊び場で歓声を上げ跳ね回る子供たちの姿が見える。しかし、K君もM君も今は将棋を始めてから最大の緊張感の中にあるようだ。



 センターの力

 9月上旬、雑誌「将棋世界」を手にセンターで取材の説明をし、了解を得たあと、「歓迎の気持ちを表したいのですけど・・」と持ちかけると、センターの田邊さんは米子市役所の大型プリンターを借りて、こうして特大のポスターを用意して下さった。さらに「これに書いて頂いたら」と色紙を用意して頂くという用意周到さ、センターの皆様の力なくして、この日の取材は成功しなかったと思う。

 今から2年前の夏、西部支部道場の入場者が激減し、中でも土曜の子供将棋教室は数人というわびしさであった。そこで、センターの藤原幹人さん(現在は米子市文化ホールに転勤)を訪ね、こども教室を共催していくことを提案すると、即座に快諾して頂き、定期的に「将棋クラブ」を開催することになった。
 「将棋クラブ」は、西部支部スタッフ6名で運営、詰将棋や指導対局を行う一方、子供同士の対局で級位を認定していく。17年度からは、J(児童)リーグと称し3クラスに分けで入替戦を行っている。スタッフは子供たちとの対局が中心となることから、センターの茅野友美さんに対戦カードの準備や勝敗の記入等手伝いをしていただき、円滑な進行に協力して頂いている。

また、年1回のこども将棋大会は、坂田館長のお話を聞いた後、2クラスに分けて試合を行い(市外の参加もOK)、最後はセンターから用意して頂いたトロフィー・賞状が成績優秀者に手渡される。



 はい!チーズ

 会場で「将棋クラブ」の手合いの組み合わせに追われていると、「ありがとうございました、この本。家族全員で読みました。」M君のお母さんが返本してくれたのは、清水市代倉敷藤花の「天辺(てっぺん)」。将棋と真剣に向かいあい、家族の力で頂点に登りつめてきた清水女流プロの文章は、将棋に対する見方を一層深めてくれると思うので、保護者の方に一読して頂きたい一冊と考えている。

 さて、カメラマン矩口勝弘さんは休むひまなく、シャッターチャンスを探している。姿が見えないかと思うと、「今、外で館長と焼き芋をしていたんですよ。ここの施設は楽しいし、外の景色が素晴らしいですね」。センターの内外の様子をはずんで話して下さり、「さすが、その道のプロ」と取材の早さに感心することしきりである。

 編集の田名後さんは、終局したM君の対局の感想戦を傍らに聞いている。
「すいません。進行にやや遅れがあるので、全体写真はどうしますか」
「分かりました。もう一つの対局が終わったら……」
 午後3時40分。進行中の「将棋クラブ」を中断、撮影場所のポスター「岩根忍の将棋って楽しい」を背景に、気がつけば40名以上が矩口さんのカメラを前に微動さえしない。やさしく微笑みあふれる岩根プロを囲んで、矩口さんはシャッターを何度か押さえた。



富益公民館

 岩根女流プロの指導対局(二面指し)の2回目。中学生のH君(2級)は2枚落ち。センターの「将棋クラブ」そして斉藤教室で頭角を表してきた実力者で、上手に挑戦していくチャレンジ精神はbPである。「これから一年で皆を追い抜くぞ」。今年、文部科学大臣杯第一回小中学生将棋団体戦の鳥取県代表となり、東京の全国大会で大いに自信を深めた。東京での家族含めての滞在は、一生の思い出となった。2週間前の奨励会員との対局では敗戦、銀多伝の序盤がやや雑なところが気がかりだが、そこを凌げば大いに有望である。

 もう一人は中学生のT君(3級)で四枚落。市内富益公民館の将棋教室で本格的に将棋を始めた。劣勢になると中々指さず、木村義雄名人の幼年時代の逸話を思い起こす。小さな声で投了を告げると、涙が止まらない。「坊や、強くなるよ。爺さんも、子供のころ泣いたもんだ」一年半前の古老の言葉通り強くなり、今日に備えて天野宗歩の定跡本などで、端攻めを中心に勉強してきた。終盤は強いだけに、序盤を互角に亘れば勝機はある。



 戦いすんで…

 4時30分。「将棋クラブ」は終了。「王手を言った、言わない」という子供同士の対局があったことから、「必ずしも言わなくてもよい」ということを西部支部スタッフから説明。最後にJリーグの昇級者を発表、参加者全員で拍手して閉会となった。

 4時50分。最後のT君が終局し、感想戦も終わった。
 結果は2勝2敗。
「4局とも内容がよかった。恥ずかしくない将棋だった」
 西部支部スタッフは一様に安堵の表情。

 日が傾きはじめたその時、矩口さんが岩根プロを急(せ)かした。
「すぐ近くの湖岸に石のベンチがあって、将棋盤が掘り込んであるんです」
 プラ駒を一つ手にすると、戸外に出た。
「そんな所があったのか?」
 怪訝な表情の西部支部スタッフは、矩口さんの後を追った。プロの眼力と行動力に感心するばかりであった。
 穏やかな湖面の中海。幾つかの小島があり、遠くに島根半島の山並み。曇天の厚い雲を見て、「夕焼けがほしい」という矩口さんの言葉に思わず相槌をうってしまう。
「盆にはここで灯篭流しをします」という誰かの言葉に、取材の3人の方はしばらく湖面を見やっていた。



 カレーライス

 8年前の夏、家族と共に私はこの場所にいた。湖面を揺らいでいく無数の灯篭を見ていた。側にいた娘はまだ小学生で、意味も知らずその景色を美しく眺めていたことであろう。
 父はその年の5月、自宅で食事中に倒れた。風呂に入り、少しお酒を飲むと、世間話で盛り上がった。明日は友人が大勢わが家に訪ねてくるのを楽しみにし、私は家内と子供を連れて四国へ旅行することを楽しみにしていた。「カレーを食べる」。昨夜の残りを母に頼むと、勢いよく食べ始めた。私が饒舌すぎて、父も自然と饒舌であった。話す、食べる、話す、食べる……。「む……」。胸を押さえて立ち上がると、床に倒れた。頭を強打した。一瞬であった。スロービデオのように長い時間でもあった。抱きかかえると、「ふー」それが最後であった。応急手当の人口呼吸をするが、意識は戻らない。
 あの時のカレーライス……。その濃厚な香りは、今でも鼻まで突き抜けてくる。以来、カレーライスを食べていない。
 今年初め、友人にその事を話した。「それは駄目だ。自分は命日に親父のことを思い出し、晩酌する。すると、年のせいか、涙が止まらなくなってしまう。カレーは食べなければいけない。そして、お父さんのことを思い出す……」。「そうだね、命日には食べますよ」。
 その約束を守らず、今こうして湊山公園の湖岸にいる。岩根プロは同い年の西部支部スタッフの青年と石のベンチに座り、石に刻みこまれた盤面で将棋を指している。編集の田名後さんが傍らで気遣い、撮影前の矩口さんの右手はしきりに動いている。



 日が暮れて

 取材は無事終了、ホテルでチェックインを済ますと、午後6時、西部支部の新道場(今年5月新築)で歓迎会が始まった。昨日、境港まで買出しに出かけ調理したカニや貝で大いに盛り上がり、岩根プロを囲んだ小宴は午後9時まで続いた。岩根プロは達筆で色紙をたくさん書いて頂き、田名後さんには「海のもずく(?)」のサインをしてもらったり、矩口さんにはタイトル戦の取材の話をして頂いたり、あっと言う間の楽しい時間でした。



 お礼

 この稿に執筆にあたっては、次の方々のご協力を頂きました。
 心からお礼申し上げます。

【女流プロ】岩根忍様
【将棋世界】田名後健吾様、矩口勝弘様
【米子市児童文化センター】坂田政久館長、田邊裕己様、茅野友美様
【米子市文化ホール】藤原幹人様
【大阪市】乾俊雄様
【神戸市】高橋冨美子様

 以下、敬称を略させて頂きます。

【将棋クラブ参加者】
 法勝寺中 加藤寛樹
 美保中 本池達也
 福米中 塩見晴義、三森和明  箕蚊屋小 相見篤睴
 和田小 米沢保
 弓ヶ浜小 安部希綱、足立圭輔
 彦名小 田澤千明、湯島一優
 住吉小 渡部誠、沖田直大、山本直樹、黒沢さとし、住田悠維
 加茂小 岸本勇輝、岡田健治
 義方小 広藤諒、川本裕典
 福米東小 塩見竜平、伊藤剛、村上翔一、小川皓太郎、田中良幸
 福米西小 瀬恒梨玖、西村文武
 啓成小 沢田龍一、野口竜之介、野口晃之介、野口真之介
 車尾小 廣田哲也、小谷峻一、成実小・山崎斉也
 尚徳小 船田楓、仲矢和樹
 淀江小 田口智博

【同OB】
 米子北斗高 末田貴巳
 米子工高 黒川健作、木村太一

【松江市】来海孝之、来海靖子
【大山町】斉藤健一
【米子市】田中康晴、阿部一彦、足立泰雄、平井正人、山住道明、興津信之、湯原幸雄、松井章宏、林田政信
【境港市】三木徹



(次回は森田宏敏さんにバトンタッチ】