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リレーエッセーその163 留年学生 高野明人 |
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たいがいの方には始めてお目にかかります、高野明人といいます。森田氏の大学の後輩になります。書いている今でも、こんなマイナーキャラが原稿書いていいのか不安です。おそらくほとんどの方が「誰だこいつ?」と思っていると思いますので自己紹介と学生時代の将棋の思い出を書こうと思います。 出身は東京で大学は鳥取大学です。大学入学時、将棋はほとんどやってなかったのですが、入学後、将棋とマージャンとゲームにはまり、当時、年間1学年80人中20人落とす教授がいたせいもあって、留年を重ねました。また、将棋部は他学部生しかおらず、留年して学部の友達もいなくなり、ノートが廻ってこなかったのも敗因の一つです。 将棋のほうは、平成9年6回生の時初めて学生名人戦に出場しました。そのとき、記録係の人に学年は回生か年生かどっちで書くのか聞いた覚えがあります(そのとき6回生2年生だった、学年は4年以上は慣例として4年と書くと教えてもらった)。結果は細川大市郎氏に1回戦で当たり、最短7手詰めの局面がありながら(しかも指した手順でも問題なく詰んでいた)、詰ましそこなって負け。この時は相手が誰だかも知らず、まあいい将棋させたからいいかな、くらいにしか思いませんでした。その後、進級をかけた試験が12月にあるため4、5月は比較的余裕があり、計3回(6、7、9回生のとき) 学生名人戦に出ました。結局1勝もできず、西日本大会ベスト8が学生最高成績でした。 西日本にも3回くらい出させてもらいましたが、小野倫太郎氏相手に必勝の局面になりながら、記録係がいたこともあり、かっこよく詰ませようとして何十手にもわたって相手玉を追っかけまわし、結局詰ましそこなって、しかも自玉はまだ寄せがないので、その後も「まだ勝ってる、まだ勝ってる」という将棋を負けたのが印象に残っています。将棋に関しては淡白で、こんなもんでいいかという手を指したり、勝利に関してあまり貪欲かったのかと、今では考えられますが、それでも当時はそれでも一生懸命だったんだろうとも回想します。 また、中国四国大会で一度団体優勝し、学生王座戦に一度出られたのもいい思い出です。結果は団体全敗、自分自身も越谷氏、天野氏、清水上氏に0−3 (1局目はいい局面もあったが他は不幸) でした。最後の数年は気力(棋力)、体力とも衰え、宴会要員として中国四国大会に出るくらいで、卒業後の現在もほとんど将棋はさしていません。 今思うと、入学時は居玉棒銀くらいしか指さなかったのに、よく大学全国大会までいけるほどになったと感心します。留年が多く、そこまで行くのに計6年以上かかっているので、それほど急激に強くなったわけではないです。でも、強くなるときは急に視界が開けるような、ずっと上のものだと思っていたのが、意外とたいしたことないと感じる瞬間があったと思います。人並みに将棋の本も読み、詰め将棋とかもし、特に『羽生の頭脳』とかはほとんど暗記するほど読んでいた覚えがありますが、強くなるには本当に自分に自信が持てるようになる必要があると感じます。良いときは自分の読みに酔う。「おれってすごいなあ」と感じるくらいの時があったと思います。いまではすっかりそんなこともなく、ネット将棋しても見落としばっかり多くて、弱いやつに勝つには、わかりにくい詰めろをかけると楽とか思っているようではしょうもないですね。こんな弱っちいやつが、えらそうなことを書きましたが、もっと強い人はさらにもっと上の世界があって、さらに上の観念があるんじゃないかと想像します。
(次回は吉田泰将さんにバトンタッチ)
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