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リレーエッセーその164 パンチドランカー 吉田泰将 |
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自己紹介 無名の選手故に殆どの方には初めてだと思いますので、簡単に自己紹介を。 吉田泰将と申します。鳥取県鳥取市生まれの23歳、棋歴はおおよそ12年目になります。 中学選抜、高校選手権、高校新人戦、高校竜王戦の県代表を数回経た後、2002年度より同志社大学に在籍し、2004年度には将棋研究会の幹事長も務めました。 将棋との出会い 将棋との出会いは4歳のとき。相手のいなかった父親が、文字の読み方も知らないような息子の私に駒の動かし方を教えたのだ。最初のうちは駒を正しく動かすことに必死で、勝敗など気にしなかったと思うのだが、だんだんやり口が分かってくると毎晩負けることがとても悔しくて、そのたびに私はいつも泣きじゃくっていた。負けるのは当然なのに、いつも泣いていて叱られたこともあった。教えたのが父ならば、相手も父しかいない状態で、強くなるわけがない。つまり、どう考えたって勝てっこないのである。こうして私は将棋を覚えてから4年間も勝つ味を知らなかった。勝つことが最終目的のゲームで全く勝てずにいて、何が楽しかったのだろう。4年間、毎日泣かされ続けて楽しいわけがなかっただろうに……。当時のことを振り返って、ふとそんな疑問を抱いてしまう。 全国へ 私の世代では、すでに「天才バカボン」「おそまつ君」なんて漫画は下火状態だったと思うのだが、小学2年(8歳)のときに読んだ「ニャロメの将棋入門」という本は傑作だった。赤塚作品に登場する殆どのキャラクターがテーマ別に将棋の基本的な考え方を教えてくれる形式で、とても親しみやすく分かりやすかった。思えばこの本から私の将棋の根幹が作られたのだ。対局時のマナーから始まって、駒の特性も、矢倉も美濃も船囲いも穴熊もこの本から教わったのだ。単に「マンガだから」簡単に覚えたのではないと信じている。私はもう負けて泣くまいと、ただそれだけの小さな理由で必死だったのかもしれない。 一度自分の頭で考えて勝つ味というものを知ると、もう将棋はやめられなかった。それから自分なりには真剣に将棋をやってきて、何度涙をのんだか分からない。97年の全国中学選抜で早々と予選落ちし、地元で開催された全国高校選手権でもベスト16までしか進めず(それが自分の限界ではあった)、翌月の高校竜王戦では予選落ちにヤケを起こして適当に指してしまい、女子選手の4勝目を与えてしまったことも今となっては懐かしい。しかし選手としてはもっとも充実したときだったかもしれない。 異質な世界 大学入学後すぐ将棋研究会に入り、学生棋界に関わることになるのだが、ここで私は一種のカルチャーショックを受けた。私に限らず、それまで常に勝つことを念頭においてやってきた人間にとって、一部の人間の「将棋は楽しむものだ、勝てなくても楽しければそれでいい」という考え方は到底受け入れがたいものであった。当時からある程度の戦力があるにも関わらず、その底上げは実現しなかった。これでは憧れの王座戦など夢のまた夢である。当然のように我が同志社はA級とB級を行ったり来たりした。Bから這い上がって第二代表戦を戦うくらいの戦力はあったのに、どうしてもそれ以上には成績がついてこなかった。2年目の秋には平日の活動時間にBOXで囲碁や麻雀を公然とするような風潮も生まれ、もはや自分がそこで将棋をやる意味もないと思ったのだが、私の後に入ってきたやる気のある後輩たちにこんな馬鹿げたチーム状況を丸投げするわけにはいかなかった。そういう意図を周囲も少しずつ理解してくれたのかは分からない。私が幹事長になった3年目こそA級に残留したが、それが限界であった。昨年の同志社はついにB級に落ちたまま、A級には復帰できなかったのである。これは私をも含めて全体の怠慢というべきであろう。 大学時代に感じた疑問 将棋というゲームに少なからず関わっていて、「勝てなくても楽しい」などということがありうるものだろうか? たぶんありえないのである。将棋は嫌でも白黒つけねばならんゲームなのだ。勝つことを全く知らないで、本当に将棋が大好きで指していて楽しいものだといえるかどうか。そこで私としては、冒頭に記した自分の幼少時代のことがフラッシュバックしてくるのだ。ルールを知ってから4年も負かされ泣き続け、勝つことを知らなかった私が、あの当時の小さな頭で将棋が楽しいなどとは一度たりとも思ったはずがない。強いてあげるならば、駒を動かすことくらいにしか楽しさは見出せない。あるいは負けず嫌い、といえばそれまでなのかもしれない。そうだとすれば、将棋が強くなるかどうかはどれだけ真剣に勝負に臨んで、悔しい思いをしたのかにもよるのだろう。「勝てなくても楽しんでいるから」という人たちにとっての「楽しむ」という言葉、あれは真剣に努力することを放棄して負けたときに用意した言い訳じゃないのか???と思ってしまう。 しかし、こんなことは大学入学時から将棋を始めたような人に言わせれば「押し付け論」である。初心者は駒を動かせれば楽しいのである。だから大声で言えない。これは大学というチームの意識を統一する上で最大のジレンマではないだろうか。 これから 道場に通いだしてから10年間以上が過ぎた。青春時代の大切な時間をつぎ込み、将棋に打ち込んだ時を経て、将棋が好きだという思いには何ら変わりない。豊富に序盤作戦を持ち、多くのライバルと胃の痛くなるような中終盤を真剣に戦うこと、その結果を踏まえてもっと強くなること、何よりも1局勝つことが、自分にとっての「将棋の楽しさ」であると信じてやまない。だから何度負かされても再び駒を握っているのだ。幸いにして、大学将棋の団体戦というある種の束縛からも開放され、私はまた一人のプレーヤーに戻る。もう一度、頑張ってみたいと思っている。 なんとも読みにくい長文ですみませんでした。次回は、2005年度関西学生将棋連盟の理事長職を立派にやり遂げた、松井豊仁さんにバトンタッチします。
(次回は松井豊仁さんにバトンタッチ)
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